祭 神:湯次神 菅原神 保蔵神 素戔嗚命 奥津彦神 奥津姫神 倉穂魂命 説 明:境内案内板から、由来を引用します 「当社は『備前国神名帳』に、『従五位上湯次明神』とある古社で、もと家高山に鎮座していたが、 嘉吉元年(1441)に現在地へ遷座したと伝えられている。神仏習合時代には家高八幡宮と称してい たが、明治三年(1870)に旧号に復し、湯次神社と改めた。『邑久郡神社誌』所載の文明八年(1476) の棟札によると、領主浦上則元と島村景貫によって再建され、その後元禄八年(1695)に大破した ため造り替えされた。このとき、本殿の瓦葺きを改めてこけら葺きにしたという。その後平成八年 に銅板葺きに改修。現在の本殿は三間×二間、入母屋造、本瓦葺き、唐破風付き。下の段には随神 門、『木村六郎平衛門之』と銘のある一対の備前焼狛犬。この焼き物の造形は特に優れており、当 時の勢いを表しているものである。百メートル登ったところ(家高山)に当社のご神体と推測でき る巨石(磐座)がある。」 住 所:岡山県瀬戸内市長船町磯上3277 電話番号: ひとこと:湯次神はあまり聞きなれない神様ですが、案内板の裏に説明がありました。 これも引用しておきますね。 「湯次神(ゆつぎのかみ) 秦氏がその祖先とする弓月君(ゆづきのきみ)を祖神として祀ったと推定されています。また磯上 の油杉と深い関係があります。油杉は弓月(ゆつき)→湯次(ゆすき)→油杉(ゆすぎ)と転訛し たものと推測できます。 ちなみに滋賀県長浜市浅井町にも湯次神社が祀られています。この地も秦氏の居住地として知られ ています。 弓月君は、日本書紀に記述された、秦氏の先祖とされる渡来人です。『新撰姓氏禄』では融通王と もいい、秦始皇帝の後裔と伝承されています。 渡来後の弓月の君の民は、養蚕や絹織に従事し、その絹織物は柔らかく『肌』のように暖かいこと から波多(秦)の姓を賜ることになったのだという命名説話が記されています」 油杉には行けませんでしたが、ここは巨大な磐座があるようですね。 旧来、磐座を祀ったのは縄文人とされてきましたが、最近の研究では、弥生人も磐座を祀ったと言 われているようです。 ただし、縄文人の真似をして磐座を祀ったのか、それとも弥生人が磐座祭祀を始めたのかはわから ないとのこと。 つまり、縄文人がどんな祭りをしたのかはさっぱりわからんようですね。 なんにせよ、秦河勝がうつろ船で流され、大いに祟ったとされる坂越からはさほど離れていません。 秦氏はいつ、なんのためにこの地へやってきたのでしょうね? 気になります。