2005年、1月23日。
丹波篠山の主・天々宇知栗さんから、
東山古墳群を案内してくださるというお申し出を戴き、
いそいそとお邪魔して参りました。
メンバーは、
天々宇知栗さん・のりちゃん夫婦・MUTSUさん・海老珍さん。
古墳好きの海老珍さんの活躍が見物の、オフでした(~_~)
さて、今日のコースは、
9:30 篠山城址集合。
その後、
石くど→佐佐婆神社→車塚古墳→櫛石窓神社→清五郎稲荷神社(稲荷山古墳)→昼ごはん→
吊り橋→狭宮神社→東山古墳群→銅の精錬所跡→家形石棺→天目一神社→兵主神社で解散
という多彩で充実したものでした。
天気予報はぱっとせず、前日まで傘マークが消えませんでした。
が、当日の天気はくもり。
まずまずのスタートです。
のりちゃん夫婦は車で、
MUTSUさん海老珍さんは電車で待ち合わせ場所に向います。
今回、旦那が参加する、ということで、
実は、私、コースをイマイチちゃんと把握していませんでした。
方向音痴の私があれこれ考えるより、旦那に任せる方が正解。
これが私の結論だったわけです。
とはいえ、当日までの連絡役は私だったため、
待ち合わせ時間くらいは、わかっているつもりでした。
が、当日の朝、待ち合わせ場所まで向う途中・・・。
私「待ち合わせまであと3時間あるな」
旦那「何言うてるんや、2時間やろ」
私「なんで、待ち合わせ時間10時半やろ?」
旦那「9時半や!」
私「・・・・・」
結局、MUTSUさんにメールを入れ、海老珍さんに電話を入れ、
私が間違っていることがわかったのですが・・・。
私、連絡役に、向いてないっすね(^^ゞなははは。
さて、全員が集合すると、早速、石くどへ向います。
「くど」とは、「かまど」のこと。
確かに、そう言われればそう見えます。
が、実はこの遺跡、周りの土が剥れてしまった古墳なんです。
古墳後記(6世紀)のものと言いますから、
応神天皇よりは後ということになりますでしょうか(←なんつぅおおざっぱな把握!)
こういう姿ですから、中までじっくり拝見できるのが嬉しいところ。
本と首っぴきで古墳の観察をしている海老珍さんを眺めていると、
案内をしてくださってる天々さんが、
「次は神社だからね」
と。
なんて気配りをしてくださるのでしょう(#^.^#)
確かに、私は石くどから少し離れて立っておりましたが、
決して退屈していたわけではなく、
海老珍さんを観察する方が、古墳より面白かったので・・・
面白い、という点では、他人のこと、言えないんですけどね(^^ゞ
ということで、次にやってきたのは、佐佐婆神社。
ここは延喜式内社。
確かに、背後の山をご神体とする、なにやら歴史を感じる神社です。
ご祭神は忍穂耳命。
ご神体山と天孫族の神様の取り合わせは、ちょっと珍しいような気がします。
次の車塚古墳は、綺麗な姿の前方後円墳です。
ここは、所謂「七つ塚」だそうで、
この前方後円墳の周りに六つの小さい古墳が並んでいるのだとか。
ただ、北斗七星の形にはなっていないみたいです(笑)
しかし、「7」という数字は不思議な数字ですね。
よく言われるのは、月の満ち欠けは、28日周期。7の4倍です。
そして、7の倍数以外の整数を7で割ると、6桁の循環小数が表れます。
その小数点以下の数字6桁に7をかけると・・・。
やってみてください。
1週間が7日なのは、何か深い意味がありそうです。
ちなみに、同じ日に見学した、家形石棺も、
7つのパーツが組み合わさって出来ています。
この「七」は、偶然かもしれませんが、
もしかしたら・・・。
興味をそそられますね(#^.^#)
次の櫛石窓神社には、まだ深い雪が残っていました。
私達が駆け足で社務所の横を通り抜けると・・・。
屋根の雪がドド〜〜〜ッ!!っと・・・(^^ゞ
雪崩って、こういうメカニズム(?)で起きるんですね。
いや〜納得しました(←違うって)
ところで、海老珍さん曰く、
この櫛石窓神社は、車塚古墳のちょうど鬼門にあるんだそうです。
櫛石窓の神様は、入口を守る神様でもありますね。
車塚古墳の被葬者と、この神社には、何か関係があるのかもしれません。
さて、数ある稲荷神社の中にも、
頭に人の名を頂く稲荷神社がいくつか見受けられます。
清五郎稲荷神社もその一つ。
頂いたお名前は、寄進者だったり、勧請した人だったりする場合が多いようです。
しかし、清五郎とは、寄進者でも勧請した人物でもないのです。
この地の力士は代々弱かったのだそうです。
ところが、ある年、小田中清五郎をはじめとする八名の力士が現れ、
江戸両国で行われていた、御前試合で勝ち抜いたのだそうです。
試合の後、その力士達に褒賞を与えようと探してみましたが、見つかりません。
力士達は、お稲荷さんの化身だったのです・・・。
お稲荷さんと力士とはこれまた面白い組み合わせなような気がします。
狐さんって、力より智恵がありそうですもんね。
そして、この神社にはもう一つ面白いトピックスがあります。
それは裏山にある稲荷山古墳。
入口の道と棺室が、丁度、Tの字になっている、珍しい古墳なんだとか。
普段はどちらかというとおっとりとして見える海老珍さんが、
おもむろにズボンを巻くり上げ、山の斜面を駆け上って行きます。
慌てて後を追う、他のメンバー。
私は勿論、
人並みでない体力を誇る、天々さん・旦那や、
山登りが好きなMUTSUさんでさえ、なかなか追いつけません(^^ゞ
彼女に取り憑いているのは、なんなんでしょ(笑)
入口は狭いですが、中は結構広いです。
棺の3つくらいは入りそう。
MUTSUさんが、
「こういうとこ怖いよな」
と、意外な反応。
「オバケ出そうですか?」
と質問すると・・・。
「ちゃうやん。出るのは蛇やん。虫とかさ!」
・・・納得(笑)
さて、お昼ご飯です。
暖かいものが食べたい、という意見で、おうどん屋さんに入りました。
丹波篠山はイノシシ肉が有名。
ということで、猪肉のメニューを見ると・・・。
「牡丹カレーうどん」
なる品が。
一人がそれにすると、皆がそれに倣います。
カレーって、人が横で食べてると、絶対食べたくなるんですよね(^^ゞ
ただ、私の旦那だけが「カツ丼」を頼みました。
つまり、私と半分こしようというわけです。
夫婦は得ですね(#^.^#)
途中、吊り橋で飛び跳ねたり、騒いだり。
狭宮神社で薬酒を頂いたりしながら、とうとう東山古墳群へやってまいりました。
ぽこぽことした古墳群は、なんだかテントみたいです。
この古墳からは、珍しい陶器の棺が出土しています。
ここでは、ボランティアガイドさんが
つきっきりで説明してくださいました。
面白いのは、棺の頭部分に大きく「×」印が入っていること。
そして、古墳石室の奥壁にも「×」印が入っているものがあることです。
「復活してこないためのおまじない?」
と、大胆な推理をしてみたわけですが、
「この陶棺の被葬者は火葬になっていた」ということで、
「復活を望むなら、そもそも焼けへんのちゃう?」
と、するどいツッコミをMUTSUさんから頂いてしまいました。
う〜〜〜む・・・。
ここでも、海老珍さんの活躍は目覚じく・・・(笑)
入口がほとんど埋まっている古墳にも潜り込む。
そして泥だらけになって再登場。
ガイドさんも、目を丸くするほどの運動っぷりなのでした(爆)
あと興味深い話としては、陶棺の出土した12号古墳だけは、入口が南を向いていること、
などがあげられますが、詳しい話は、海老珍さんにお願いしたいと思ってます。
銅の精錬所でも、やはり、
ボランティアガイドさんが、つきっきりで説明くださいました。
この精錬所は江戸時代のものだそうですが、
聖徳太子の時代に作られた「たか寺」に、大きな銅の梵鐘があるということ。
多分、古くから、この地では銅の精錬が行われていたのでしょう。
それを証明するのが、天目一神社かもしれません。
天目一神とは、製鉄の神様として有名でしょう。
神名のとおり、目が一つだと言われています。
なぜ、製鉄の神様の目が一つなのか、
それは諸説あり、よくわかりません。
製鉄の際、強い光に目をやられる人が多かったから、だとか。
そもそも製鉄は神聖なもので、それを行うための力を得る代わりに、
目を一つ神に差し出したのだ、とか。
しかし、この神社は伝説の持つ重苦しさはなく、
柔らかな雰囲気をかもし出していました。
次に向かったのが、兵主神社。
偶然かもしれませんが、各地にある兵主神社には、
力士と関連があるお社が多いように思います。
清五郎稲荷神社と、この兵主神社。
位置的に「近い」とまではいえませんが、何か関連がありそう・・・
この丹波という国は、山が多く、従って盆地も多いため、
いろんな部族が山を挟んですぐ近くに住んでいたのでしょう。
だからこそ、いろいろな物語が生まれたのじゃないか、と思います。
この兵主神社で、一行は解散。
このオフを計画してくださり、
案内・車の運転を担当してくださった上に、
「興味あることにはまっしぐら」
なプチおば達を最後まで気遣ってくださった天々さん。
本当にありがとうございました。
それから、興味深い話題を出してくださった
MUTSUさん、海老珍さん、ありがとうございました。
また、皆でガシガシ出かけましょう!!