北播磨・丹波古墳&神社オフ
海老珍さんレポート


古墳といえば、この方。
古墳クライマー(勝手に命名)海老珍さんです。
彼女の目に映った、北播磨・丹波の古墳をレポートしてもらいました〜。
では、どぞ〜。




 それでは私、海老珍が続きまして報告をば。

 行きの電車は結局MUTSUさんと出会うことなくJR篠山口まで一人でしたが、初めての路線は景色も新鮮で…ていうか殆んど半分寝ておりました。
 本来乗るべき一本前に乗ってしまったようです。(YAHOOの路線情報には載ってなかったぞ)

 しかし、この時間差を利用して篠山口の売店で冷えたクリームパンを購入。
 そろそろ天々さんも来てくれているだろうな、と待合室を出てそれらしき人を…。
(あ、もしかして、このbossの帽子は…)「あの〜、天々さんでしょうか」…こういうのって結構緊張します。しかもハンドルネーム、違ったら恥ずかしいですな。
 天々さんと出会いほどなくしてMUTSUさん登場。のりちゃん待つ篠山城駐車場にGO!です。

 それにしても駐車場につくまでの短い間から解散するまでの天々号の車内でいくつの城跡を紹介してもらっただろう。「あの山が○○城…、あそこが○○城…」凄すぎる数と二人の会話にジャンルは違えど熱さに変わりはないよなぁ、と私の別口の仲間を思い出しておりました。

 今回参加するはずだったたえっちさんは急遽体調が悪くなり不参加でしたが、そもそも天々さん経由。知らずにいたら駅で「なんでいるの!」と驚いていたことでしょう。今回は事前に天々さんが知らせてくださっていたので、たえっちに連絡を取り、天々さんともたえっちの掲示板で会話させてもらっていたのです。そう、たえっちと私はよそのサイト繋がりの知り合いなのでした。
 たえっちの不参加は残念でしたが、今日はたえっちの分まで楽しむぞーい!と頼まれてもない解釈でハイテンションな私でございました。

 のりちゃん、そんなにわたしの行動が面白かったかい?…わたしゃ、のりちゃん、あなたのご主人のほうが…。ほんと、羨ましいほどにオイシイご主人様で…。

 さて、古墳のことについて書いてほしいってことですがなかなか難しいです。
 石くど古墳、通称を「丹波の石舞台」というんだそうです。墳土が完全に流出してしまい横穴式の石室がむき出しになっていましたよね。あの平地に道路すれそれのあの状態で残っているということに感動しました。

 それから雲部車塚古墳ですがこちらは古墳時代中期初頭と推定されている古墳で竪穴式の石室なんですが、宮内省管轄の陵墓参考地になっていますから墳丘に立ち入ることもできません。北と南に位置する車塚の名前の由来になった?つまりは車輪ってことですか?となった陪塚も陵墓参考地なんだって。はは、登っちゃいましたねー。

 この雲部車塚は明治に陵墓参考地になる前に石室部分を掘っていて絵図などがのこっています。そしてそこには王墓と呼ぶにふさわしい長持形石棺が。またその残された図からはこんなことが推測されます。石室の位置が中心ではなく南側に偏っていることで、もしかすればもうひとつ埋葬施設があるかも。いやぁ、ロマンですなぁ。どうして陵墓参考地なんだ!

 のりちゃんが先に書いてましたが、私はここから鬼門の方角に櫛石窓神社があることに注目しているのです(研究者が言っていることではないのでご注意ください)御祭神クシイワマドノミコトは天照大神が天岩戸から出てもらったときにもうそこには入らないでという意味で戸口を守られた神様なのです。それに宮中に祀られる36座のなかにも入っている。宮中の匂いプンプンでしょ。雲部車塚は陵墓参考地だしね。

 さて、次に訪ねた古墳は小田中の稲荷神社の上にある稲荷山古墳です。ここの古墳の珍しいことは石室がいわゆるT字型の横長になっていることです。他のT字型古墳も珍しい、珍しいと紹介されているからどれほど数少ないのかと思いますよね。けれど100例ほどはあるらしいです。それでも珍しいってことなので古墳っていったいいくつあるんでしょう(@0@)

 さて、場所はずいぶんと移動しまして中町は東山古墳群です。あちこちに抹茶味の土まんじゅうが(笑)その風景は大変美しく、芝でおおわれた古墳がポコポコとございました。
 そうなんですよね、陶棺の「×」の印がやたら気になってます。それにしてもあの陶棺を実見してみたい!と思っていたので凄くうれしかったです。一人であの場所まで行くのはなかなかですし、ほんと感謝しています。

 実はここまで書いて長い間ほったらかしにしていたんですが、とりあえずここまでで…ああ、こんなシメ方でよいのだろうか、本当はここからが私の担当なんだろうな〜(笑)

 とにかく楽しかったですし、それぞれのキャラも最高に面白かったです。
 ありがとうございました。

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