雪にも負けず!高取山城オフ


今回の幹事は、MUTSUさん。

お仕事の都合などもろもろの事情で、
プチおばのメンバーの中で最終的に参加できたのは、
私と旦那だけになってしまいました。
でも、MUTSUさんの山城仲間がたくさんいらっしゃったので、
賑やかに楽しいオフになりました!

高取町の方々が、車で山頂近くまで連れて行ってくださった上に、
とてもわかりやす説明、そして案内をくださったので、
初心者の私でも、山城の魅力をたっぷり感じることができました!
オフを企画してくださったMUTSUさん、高取町の皆さん、そして、
オフに参加されたすべての皆さん、本当にありがとうございましたm(__)m



午前中は、城下町を案内してくださいました。

まずは、子嶋寺。

このお寺の門、何か、違和感がありませんか?

そう。
普通よく見かけるお寺の門って、柱が円柱になってることが多いですよね?
この門柱は、四角柱です。
これは、高取城の門を移動させたものだそうで、
その証拠に、門屋根に、高取城の紋が↓



四角い柱でできたお寺の門は、お城の門を再利用(?)している場合が多いんだそうです。

高取町は、武家屋敷がいくつか残っています。
普通に見える民家でも、ふと見ると馬を繋ぐためのわっかがあったりして、油断ならないんです。

中でも、高取の御殿医が住んでおられたという、石川医院。

今もちゃんと営業されています。
しかも、かなり高名な皮膚科医院だそうで、営業日にはたくさんの患者さんが詰め掛けるとか。

「歴史がまだ生きている町」
という感じですね(#^.^#)

さて、一行は、「夢創館」に一端戻ってきました。

ここで、お昼を頂きます。

この日は、前日の雪が残っていて、ノーマルタイヤの車では山を登ることが難しく、
徒歩での登山を覚悟していたのですが、
高取町の方が、四駆で頂上付近まで連れていってくださることになりました。

正直、溶けた雪が残る道を車で行くのさえ初めての体験でして(^^ゞ
山頂に行くだけで、かなり興奮してしまった私でございました。
「ひゃ〜〜、ドリフトしたっ!!ひょ〜」
と、さぞかしうるさかったことかと(^^ゞ

今回のメンバーは、私以外、普段から山城探訪をされている方々。
雪のない道でさえ、すっ転ぶ私は、
「迷惑かけたらいけんの〜」
と、少し緊張しておりました。

なのに(T_T)
車を降りたら、いきなりの雪!!
「これは!!」
・・・絶対、すべって転んで、下手したら失神するぞ!!
と、毛穴が引き締まりましたです(>_<)

そう、ほんの一瞬だけ。
と、言いますのは、
少し階段を登っただけで、びっくりするような景色が飛び込んできたからなんです。



わかります?
石垣がまるで波のように、うねり、重なり、積みあがってるようでしょう?

こんな山頂に、どうやってこれだけの石を運び、積み上げたのか。

しばし、息を呑んでおりました。

・・・結論から言いますと、人間ってのは暗示にかかりやすいもんです。
「滑るんちゃうか〜、転ぶんちゃうか〜〜」
と不安に思ってると、転ぶもんだす。

「怖い、怖い」
とおっかなびっくり歩くほうがすべるんだす!

「ひぇ〜〜、すごい石垣、どひぇ〜」
と上ばっか見てると、つるり、とも滑りませんでした(^^ゞ
なるほど、そういうもんなんですね〜〜〜(笑)

さて、この石垣、かなりの大作であることがわかると思います。
大作を作り上げた人間が、いるわけです。
そりゃぁ、サインの一つも刻みたいでしょう。
観光地の落書きみたいでもなんでも、自分の名前を残したい・・・
人の気持ちは、いつの時代も一緒なようで、

こんな風な「刻印」が、今のところ、3つ見つかってるそうです。
これは「卍」に見えますが、他にも「上」「二」と読める刻印を見せていただきました。

・・・後記・・・
オフメンバーさんからの情報によりますと、
この「サイン」は、高取城普請時のものではなく、
他城からの流用ではないか、と、推測されているのだとか。
としたら、私の、
「すごい作品にはサイン」説(笑)
は間違いということになりまするm(__)m

・・・話は戻ります・・・

さぁ、高いところへ行きましょう。
お城で一番高いところにあるのは、多分、大体、天守ですよね?
天守から下を眺めますと・・・。

お城がどれだけ広いかわかりますよね?
これでも、まだ一部です。
「台」のように、見えるところは「新櫓」。
その向こうに見えるのが二の丸。
家族が居住していたそうです。

高取町を少しいくと、「飛鳥」があります。
というより、古代において、「高取」と「飛鳥」は、同じ村だったのかもしれません。
高取町にも数多くの古墳があるのです。
そして、こんなものも↓

お城から5分ほど離れた場所に、猿石があるのです。
お猿さんが左手でつかんでるのは、ど〜も、おちんちんのようでございます。
ということで。
申年の女と、雄猿石のツーショット。
というわけですね(~_~)

「城」というと、私達は、「天守」ばかりを想像してしまいます。
が、堀も「城」の一部ですし、「櫓」も城の一部であるということを忘れてはなりません。

この、高取城にも、「国見の櫓」と呼ばれる、大和を見渡せる櫓が存在します。
国見櫓からの眺め↓

真正面に二上山が見えるのがわかりますか?
その右方に、大阪のビルも見えます。
これだけよく見えたら、敵の来襲もすぐ分かるでしょうね(#^.^#)
いや〜、ほんと、お城って、よくできてます。

「国見」と言えば、古代の天皇もしきりに山に上り、
自分の国を見るということをされました。

初代人皇である神武天皇は、腋上の「ほほ(口へんに兼)間の丘」に登り、
「大和は素晴らしい国だ
狭いけれども、秋津(トンボ)が交尾しているように、
山々が重なり合っている。」
という意味の寿歌を詠まれた・・・と、日本書紀には記されています。

仁徳天皇は、高殿に登って自分の国をお眺めになり、
「民家から煙が上がっていない。
人民は貧窮しているのだろう。
向こう三年課税をやめよう」
とおっしゃったとされてます。
lして三年後、再度高殿に上り、
今度はあちこちの民家から煙が上がっているのを発見され、
「わが国は富んできた」
と喜ばれた・・・と、これまた日本書紀に記されています。

仁徳天皇のように、実際に国の様子を見るために、「国見」をする場合もありますが、
神武天皇の場合は、自分の国に、「寿歌」を詠むことにより、
呪術をかける、という意味があったのではないか、と思います。
「国見」とは、国を富ませるための、一種のまじないごとだったのではないでしょうか。

私は、そういう「呪力」はありませんので、
ボタンがあれば、瞬く間に、「満へぇ」になりそうな勢いで、
「へぇ〜」を連発するだけでしたが(^^ゞ

景色を満喫した後、クライマックス。
「弥勒の堀切」へ向かうことになりました。
「堀切」とはなにか。
・・・私は知りませんでしたので、メンバーの方に教えていただきました。

つまりですね、
お城へ入るための道が、「高速道路」だと想像してください。
で、道路の一部が、取り外し可能だと考えてください。
敵が、せめてきた時、その道路部分を外せば、敵は入ってこれないわけです!

「跳ね橋」と似たような仕掛けと考えたらいいかも?

しかし・・・。
「弥勒の」
とはよく言ったもんで、
山道に慣れてない私には、かな〜り、怖い道が続きました。
んなわけで、「弥勒の堀切」に辿り着いたときには、
「あぁ、極楽、極楽」
と(笑)


しかし、行ったら帰らなきゃならないんですけどね(T_T)
しかも、駐車場からかなり来てしまったので、
「近道しよう」
と、すごいすごいすごい!!道を行くことになりました〜〜〜(>_<)
どんな道かといいますと、
こんなん↓

写真ではよくわからないかもしれませんが、道は、本当に狭いっす。
で、道の右は上へ続く崖。
左は下へ続く崖。
そんな道なんどすえ〜(T_T)
ここ・こわ〜〜〜。

車に辿り着いたとき、どれだけほっとしたか!!
そして、どれだけ、泥んこになっていたか、は想像におまかせします(~_~)

また、夢創館まで送っていただき、解散となりました。

始めての体験で、かな〜りびっくりすることがたくさんありましたが、
何しろ、むちゃくちゃ楽しかった!!

まだまだ知らない世界が、山ほどあるんだなぁ、と思った体験でございました。
皆さん、本当にお疲れ様、そして、本当に、本当にありがとうございましたm(__)m

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