採取地域:奈良県平群郡 ひとこと: 原 典:宇治拾遺物語 登場人物:蔵人 大安寺別当の娘 物 語:大安寺といえば、推古天皇の時代に建てられた、由緒正しきお寺。 この別当の娘となれば、なかなかの裕福な暮らしをしていた。 そこへ蔵人という男が通い出したのは、いつからであったろうか。 華奢でかわいらしい娘を、いじらしく大事に思った蔵人は、朝に なっても帰ろうとせず、またその晩も泊まっていくこともあった。 まず、仲睦まじい夫婦であったといえよう。 ある日のこと。 蔵人がうとうととしていると、周りが騒がしい。 いぶかしく思って、様子を伺うと、舅・姑を始めとして、全ての 人間が、大きな器を手にしている。 「何が入ってるのだろう?」 よくよく見ると、器の中では、ぐつぐつと赤い液体が煮え、ぶつ ぶつと気味の悪いあぶくをはじかせている。 どうやら、中に入っているのは、どろどろに融けた銅らしい。 その熱い液体を、みな、黙々と飲み干している。 涙を流している者もいるが、誰も、飲むことを拒否する様子はな いようだ。 声も出せずに呆れていると、一人の女房が御簾の中に入ってきた。 蔵人の側で寝ていた娘を起こして、煮え銅の入った器を手渡して いるようだ。 娘は、甲高い悲鳴を上げながらも、全て、飲み干した。 細く白い喉を、熱くたぎったものが通過するのがわかる。 そして、彼女のかわいらしい目や鼻からは、白い煙が吹き上がっ た。 「さぁ、旦那様も」 娘がにっこりと笑っている。 なぜか否を言えず、器を受け取ったところで、恐ろしい夢から、 蔵人は覚めた。 「舅どのは、この寺の財物を着服しているに違いない。」 目ざめた蔵人は確信した。 そして、その後、この娘の所へ通うことはなかった。 浅ましきものは、仏のものを我が物としてしまう別当か。 夢ごときが原因で心変わりをする蔵人か? 「さぁ、旦那様も」 ・・・さぁ、旦那様も、罪深い人間の一人でしょう? 娘の所に通うことをやめたからといって、溶銅を飲まずに済むと 限ったものでもあるまいに。 一人で逃れられたと思う、この男の弱さこそ浅ましい。