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てこの呼坂




  採取地域:静岡県
  ひとこと:
  原  典:駿河国風土記逸文
  登場人物:女神 男神 荒ぶる神
  物  語:昔むかし、身分の高い男性は、奥さんを別荘に住まわせ、自分
       は本宅で過ごし、奥さんの顔を見たくなったときだけ、別荘に
       赴く、という暮らしをしておりました。

       この主人公の男神様も、奥さんの女神を、蘆原は不来見の浜に
       ある別荘に住まわせて、自分は岩木の山の向こうに住んでおり
       ました。

       蘆原ってのは、今でいう静岡県庵原郡にあたるようなのですが、
       不来見浜ってのがどこにあたるのか、ちぃとわかりません。
       岩木山ってのも、ちぃ〜〜っと、見当はつきませんが、なにし
       ろ神様のことですから、距離感などが人間とは違うでしょう。
       下手にあてずっぽうするよりも、「そういうところがあった」
       と考えるほうがよいかも知れません。

       さてところが、岩木山に来るまでに、荒ぶる神様がおられ、通
       行の邪魔をしていました。

       だから、この神様がいる時は、どうしても男神は女神のところ
       に通うことができないのです。

       そんなわけで、女神のもとに男神が通ってくるのは、稀でした。

       女神は寂しくて、切なくて、いつも、岩木山のところまでやっ
       てきて、男神の訪れを待っていました。
       時には激情のあまり、男神の名を大声で呼ぶこともありました。

       そこで、この場所を、「てこ(女性)の呼坂」と呼ぶのです。
       田子の浦というのも、本当は、「てこの浦」と言ったのです。





       ところで、
       女神の声はいつも男神まで届いたのでしょうか?

       男神の訪れがないということは、荒ぶる神は岩木山の手前にい
       たということでしょう。
       それならば、荒ぶる神の耳には女神の哀切な声は聞こえていた
       に違いありません。





       *****





       荒ぶる神は、自分以外の者がどうやって毎日を過ごしているか
       なぞ、全く知りませんでした。
       なぜならば、自分以外のものは全て、「邪魔者」と映る彼の目
       には、他人の思惑など入ってきませんでしたし、自分の声以外
       は「雑音」だと思っていた彼には、耳に入れたいものなどなか
       ったのです。

       ただ、風の音だけは別でした。
       彼が棲んでいる山を抜ける風の音は、荒みきった神の心に、じ
       んわりと染み込むこともあったのでした。

       ある日、彼は、その風の音に、何か悲しいような旋律が混じっ
       ていることに気づきました。

       歌うような、すすり泣くような声は、高くなったり低くなった
       り、時には振り切れそうな甲高い声になったりして、きれぎれ
       に、神の耳に届いたのです。

       荒ぶる神は、その声を聞いていると、熱い頭や心が、少し、涼
       しくなるような気がしました。
       昔、捨ててきた、思いやりの心や、親切心、同情などが少しず
       つ、正常に動くようになってきたように思えました。

       彼の心は、この不思議な音楽の波にぷかりと浮かぶ船のように、
       ただたゆたっているだけで、自分が昔、人々から「ありがたい
       神」として尊敬されていた時のことを思い出せるような気がし
       ました。

      「なぜ、俺はこんなに荒んでしまったのだろう。昔はこうではな
       かった」

       青空よりも清々しいといわれた私の額に深い皺が刻まれたのは
       いつからだろう。

       湖よりも慈悲深いといわれた私の瞳が濁ってしまったのはなぜ
       だろうか。

       花びらよりもかぐわしいといわれた、私の唇がみにくく歪んで
       しまったきっかけはなんなのだろう?


       そうだ、誰かが、私を「荒ぶる神」と呼んだのだ。


       違う、私は荒ぶる神などではない。
       違うのだが、私を愛してくれ、尊敬してくれたた人々は、私を
      「荒ぶる神」と呼んだ奴らによって、追い払われてしまった。

       私を慕う人々はいなくなってしまい、私は一人ぼっちになって
       しまった。

       そして・・・、そして、私は「荒ぶる神」になったのだ。


       荒ぶる神、いえ、今や昔の輝ける神の記憶を取り戻した、太古
       の神様は、自分の心を取り戻してくれたこの声の主を見届けた
       くなりました。

       そこで、ある風の強い夜、岩木山の向こうへ下りてみたのです。

       泣いているのは、まだ幼い感じの残る、可愛らしい姫神でした。

      「なぜ泣いているのですか?女神よ」

       声をかけられた女神は、びっくりして顔を上げました。
       女神は夫神以外の男性を知らなかったので、自分に声をかけて
       くれた、このいささかみすぼらしく見える男神を、まじまじと
       珍しそうに見つめたのです。

       この初めて見る男神の目は、苦しみを乗り越えた者の持つ、深
       みのある優しさを湛えていましたから、女神は、自分の苦しみ
       を、この男神に訴えても大丈夫だと思いました。

      「私には夫がおります。でも、その夫は、もう百日以上も私を訪
       れないのです。夫はが私のところへ通う途中、邪魔をする恐ろ
       しい神がいるのだというのです」

       つい先ほどまで荒れていた男神は、「はっ」としました。
       それでは、この女神をこんなに毎日毎日嘆かせ、悲しませてい
       たのは、他でもない私だったのか・・・。

      「安心しなさい。私があなたの夫を連れてきてあげる。そこで、
       しばらく待っていなさい」

       今ではすっかり昔の輝ける神に戻った男神は、風のように走り
       ました。
       何しろ、ひどく尊敬されていた神様なくらいですから、女神の
       夫を探し出すのはわけないことでした。

       ところが・・・。
       夫神は一人ではありませんでした。
       夫である男神も、輝ける神様に比べるとずっと若く、一人でい
       る寂しさに耐えられなかったのでしょう。

       安全に毎日会える女神がいれば、そちらに魅かれることもあっ
       たに違いありません。

       どうすればいいのだろう。私のせいで、あの小さな女神を不幸
       にしてしまった。

       輝ける神様は、聡明な神様でしたから、人の心が強引に動かせ
       るものではないことを知っていました。
       そこで、ただ、夫神に、女神が待ちわびていること、そして、
       自分はもう「荒れる神」ではないから、いつでも女神のところ
       へ通えることだけを告げ、
       幼い女神のところへ帰りました。

       若い女神は疲れて、小さな体を窮屈に丸め、眠っていました。
       輝ける神様は女神をそっと抱き上げ、細心の注意を払って、草
       の上に寝かせ、大きな手で女神の小さな頭をゆっくりとなでま
       した。

      「私には、人の心を変えることはできない。
       でも、あなたの住むこの地を美しく飾ることはできるよ」

       輝ける神様がそう言うと、空の星が一つ、二つと降りてきまし
       た。
       そして、地面に触れると、小さな花に変りました。

       そして雲が降りてきました。
       雲は、地面を覆うやわらかい草に変りました。

       本来女神を凍えさせるはずの霜や露は、小さな白い花に変り、
       女神の周りは花と緑に溢れたのでした。

      「あなたが目覚めた時、夫神は側にいないかも知れないけれど、
       優しい花や樹があなたを慰めてくれるように」

       輝ける神様は、そう女神を寿ぐと、静かに自分の住処に戻った
       のでした。





       *****





       なんて結末かどうかは、また別の話であります。
       すべて、私の妄想でございました。お粗末様(^^)/~~~

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