定家葛(ていかかずら)

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  花 言 葉:優美な女性

  伝   説:テイカカズラの名は、小倉百人一首の撰者、鎌倉時代随一の歌人、藤原定家に由来します。
        百人一首に
        玉の緒よ 絶えねば絶えね 永らえば
         忍ることも 弱りもぞする
        が撰じられた式子内親王は、忍ぶ恋を多く詠んだことで知られます。
        大っぴらな恋ができなかった理由は、伊勢斎宮を務めた身の上ゆえもあるでしょうが、ま
        あ、性格なんじゃないかな(^_^;)
        そしてその彼女の忍ぶ恋残ってるっぽい相手の一人が、藤原定家だと言うのですが、定家
        の方も内親王を憎からず思っていたらしい。
        そこで彼女が亡くなると、かずらに身を変じてその墓に絡みついたと言うのです。
 
  蛇   足:私がこの花に興味を持ったのは、もっと古い時代の逸話からです。
        スサノオの乱暴狼藉に怒り、アマテラスが岩屋に隠れたとき、アメノウズメはほぼ裸の姿
        で踊りを舞い、アマテラスを誘き出します。
        
        その様子を古事記は
       「天の宇受売の命、天の香山の天の日影をたすきに懸けて、天の真折を縵として、天の香山
        の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸に覆槽伏せて踏みとどろこし、神懸かりして、胸乳
        を掻き出で、裳の紐を陰に忍し垂りき。ここに高天の原動みて八百万の神共に咲ひき。」
        と記述しています。
        
        この「天の真折」がテイカカズラの古名なんです。
        
        そもそもウズメの「ウズ」が縵、つまり髪飾りのこと。
        その彼女が髪に挿していたというのは、つまりウズメの分身のような花なのかも?
        
        ちなみに日本書紀の同じ場面は、
        「天鈿女命は、手に茅纏の矛をもって、天の岩戸の前に立って、巧みに踊りをした。また
        香久山の榊を髪飾りにし、ひかげのかずらをたすきにし、かがり火を焚き、桶を伏せてそ
        の上に乗り、神憑りになったように喋り踊った」
        となってますね。
        
        まとめると、
        たすき→古事記では天の日影、日本書紀ではひかげのかずら
        髪飾り→天の真折、日本書紀では榊
        手に持つもの→古事記では小竹葉、日本書紀では茅纏の矛
        ですね。
        
        夢中で撮影してたら、おじさんが嬉しそうにこっちをご覧になってたので、「テイカカズ
        ラがお好きなんですか?」と聞いたら、「私が手入れしてるんです」とのことで、綺麗な
        ところを二本切り取ってくださいました。
        
  参考文献等:
  情報提供者:       



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