benkyou

大坂山口神社

osakayamaguch




  祭  神:大山祇命 須佐之男命 神大市比売命
  説  明:境内にある看板によりますと、
      「由緒:当社は、延喜式内大社であって近世には牛頭天皇社と称し
       ている。
       崇神天皇九年黒楯八枚、黒矛八竿をもって祭らせ給い、神階正五
       位上を賜わる。又この年、勅使参向され、祈雨祭八十五座の中の
       一座に列せられる。なお祈年祭には馬壱頭を加えての官幣を賜わ
       る。
       本殿と拝殿の中程に周囲十三尺八寸(約四.五米)、樹齢千数百
       年程を経た白木の大樹がおり、傍に巨石があり形状は亀に似て、
       瑞象を現す。
       往古より神木と崇め注連縄を張りめぐらし、太鼓よりの神籬の跡
       がうかがえる。
       南東に近接して当社の『祝部(はふりべ)』の旧跡があり、現在
       民家の庭園となっている。さらに東隣の畑の角に『神さん井戸』
       と呼ばれていた井戸があったが、現在は埋没している。
       御祭神の説明:
       大山祇命:天地総攪、村の守護神 五穀豊穣、家の安全
       須佐之男命:学業成就、武道上達、不老長寿
       神大市比売命:安産守護、商売繁盛、子孫繁栄」
       とあります。
  住  所:奈良県香芝市逢坂831
  電話番号:
  ひとこと:墨坂神社と対をなす(?)神社です。
       疫病が蔓延した為に(と墨坂神社の説明には書いてあったんです
       が、日本書紀には、単に「夢のお告げにより」となってますね。)
      「墨坂神社には、赤楯八枚、赤矛八竿を以って。大坂神社には、黒
       楯八枚、黒矛八竿を以ってそれぞれの神を祀りなさい」と、崇神
       九年三月十五日、天皇の夢に神人が現れて、告げたので、四月十
       六日、夢の教えのままに、墨坂神、大坂神をお祀りになった。
       となっています。

       墨坂が赤、大坂が黒というとおり、墨坂神社は赤っぽい神社でし
       たが、大坂神社が特別黒っぽい・・・ということはありませんで
       した(^^ゞ

       大山祇命は、木花開耶姫の父親です。
       伊邪那岐命・伊邪那美命による神生にも名前が見えますが、「祇」
       という字が表すところを信じれば、本当は、地祇(天神に対して、
       土着の神様)だったのかも知れません。
       この神社の、大山祇命の神様を説明した中に「村の守護神」とあ
       るのは、興味深いですね。
       又、神大市比売命の親でもあるそうです。

       残りの二神・須佐之男命と神大市比売命は、夫婦神で、この夫婦
       からは、大歳神と倉稲魂という二柱の「穀物神」が生まれていま
       す。
       ということは、この母神も、穀物神の性格があるのではないでし
       ょうか。

       夫婦と舅という縁のつながった祭神で、古くからの祭祀の可能性
       を思います。

       崇神天皇と言えば、大物主に祟られた天皇なんですが、墨坂神社
       は、神代七代に名を連ねる六柱の神々に混じり、地祇である、大
       物主命(やっぱり(^^ゞ)が、祀られています。

       こちらの大坂山口神社は、大物主の顔は見えませんが、大物主命
       は、素盞鳴尊の子孫とも娘婿とも言われる神様。言ってみれば、
       一族ですね。

       崇神天皇は、この一族にそ〜〜〜んなに恨まれる何をしたんでし
       ょ?
       お弁当を盗んだなんていうかわいい(?)もんじゃなさそうです
       ね。

       今まで、崇神天皇が祟られまくってるのは、「悪いことは、大物
       主命のせいにしちゃおっと」ということなのかな?と思ってたの
       ですが、違う見方もできるかも知れません。

       大体、崇神天皇の時代に起きた、祟りは、「疫病流行」など。
       どの天皇の時代にも起きているのではないでしょうか?
       それを「大物主命(の一族)の祟りだ」と感じるのは、崇神天皇
       の側に大物主に呪われている、呪われるだけのことをしたのだ、
       という自覚があったのかも知れません。

       誰かが誰かを呪うというのはどういうことなんでしょうか。
       古くから日本では、「言霊」という考え方があります。
       相手を呪う言葉を言えば、その言葉は力を持ち、実行してしまう。
       ネイティブアメリカンや、アフリカなどでは、現在もそんな考え
       方は残っているようです。

       しかし、私なんぞは、気が短いので、効力があるかどうかわから
       ない「呪い」に頼るより、実際に目の前に行って、文句を言う方
       を選んでしまいそうなんですが、まぁ、そんなにひどいことをさ
       れたことがないので、そう思うのかも知れません。

       なぜ、「呪い」なんていう不確かなものに頼るのでしょうか?

       一つは、物理的に、直接手が下せない場合でしょう。
       どこかに幽閉されている、交通手段のない遠方にいる、そして、
       恨みの主が、この世にいない場合。

       他には、心理的に・精神的に直接手が下せない場合でしょうが、
       古代においては、民族同士に軋轢が生じたら、心理的・精神的に
       なんか苦手だから、戦争を回避する・・・なんてことはちょっと
       ピンときませんね。食うか食われるか、なんだから。
       よって、物理的に手が下せないのじゃないか、と考えます。

       恨まれる側は、勿論、幽閉した・遠方に追いやった・この世から
       追放したのでしょう。

       しかしですね、戦で正々堂々と(?)上記のことをしたなら、そ
       んなに恨まないでしょうね。
       ってことは?

       まぁ、そんなことも考えられるのですが・・・。
       大物主命がですね。衆道(所謂、男色)の人でですね。
       崇神天皇と同時期に生きていて、ですね。
       崇神天皇とデキてて、ですね。
       崇神天皇が、新しい男(女)を作った際に、彼を捨てた・・・。
       それを恨んだ大物主が、顔に丹を塗り、鉄輪をかぶり、鬼となっ
       て・・・。
       って言う場面を考えたらちょっと面白いので、それもアリ、とい
       うことにしときましょう。

       しかし、大物主命ってすっごいプレイボーイで、女出入りがひど
       いですからねぇ。

       崇神天皇もそういうとこ、愛想つかしたんだと思いますけどね。

home 神社のトップに戻ります back