hitokoto

菅田比売神社

sugatahime





  祭  神:伊豆能賣神 
  説  明:ご由緒を引用します。
      「歴史
       往時は、現在の筒井小学校東側、大字篠田北篠田にあり、信田宮と称した。
       伊豆能賣神は、天照大神のお姉さまで、穢身・穢家の災難を清浄し給ふ神とし
       て、筒井村を中心に57ケ村の敬神として祭られていたが、紀元2240年、正
       規町天皇の御代、天正八年、戦国時代の兵火にて消失、後に水害等にあってお
       り、字北垣内・八幡神社に合併せられ、大正元年7月1日、県社寺課より筒井
       の敬神として尊ばれ、現在に至る。
       由緒
       古事記『伊邪那岐命の禊祓』の段に、黄泉国に行かれた伊邪那美命を慕い、伊
       邪那岐命は現身のままで黄泉国に尋ねていかれ、『愛しき我が命、吾何時と作
       れる国未だ終えず故還り給え』と告げられた。伊邪那美命は『黄泉の許しを得
       んと思いし故、暫し吾を見給うな』と殿内に入られた。暫し待ちに待ったが、
       余り久しくなったので、伊邪那岐命は待ちかねて我が櫛を取って自ら火をつけ
       て這い入ったところが、女神の身は見るに堪えざる有り様であったから、大い
       に恐れて逃げ帰ろうとした時、伊邪那美命は我に辱を与えた事を非常に怒られ、
       黄泉国の黄泉醜女及び1500の黄泉軍を遣わして、伊邪那岐命を追わせた。
       伊邪那岐命は一所懸命に逃げ給い、黄泉国の比良坂まで来て、中間に大きな石
       を置いてその道を塞ぎ、不浄の国に至って身体が汚れていたので禊ぎをして浄
       めようと思召し、筑紫の日向橘小門の阿波岐原に至り、ここの上つ瀬速し、下
       つ瀬は弱しとして、中つ瀬に下りて禊をせられた。この禊の給うときに成り坐
       る神の名は八十禍津日神、次に大禍日神で、この二神はその禊ぎ繁国に到りま
       した時の汚垢に因りて成りませる神なり。次に更に禊ぎをされ、その禍を直さ
       むと為て成りませる神の名は、神直毘神、次に大直毘神、次に伊豆能賣神で、
       この三柱の神は皆、命の穢れたものをすっかりお取りになった時に誕生された
       神故に、神の体は東の山からでる日輪の如く四方を明るく照らしたという。
       次に水底に禊ぎ給う時に成りませる神の名は、底津綿津見神、次に底簡之男命。
       水の中に禊ぎ給う時に成りませる神の名は、中津綿津見神、次に中簡之男命。
       水の上に禊ぎ給う時に成りませる神の名は、上津綿津見神、次に上簡之男命、
       とある。
      『禍』は『曲』につながり、『直』はまさに、『禍・曲』を『直す』神です。
       伊豆能賣神も『直』の神様であり、神名の『いず』は『厳』で斎清める神様で
       す。」
  住  所:奈良県大和郡山市筒井町1440
  電話番号:
  ひとこと:菅田比売神社は、同じく大和郡山市にある菅田神社と深い関係があると思いま
       す。
       
       大和史蹟研究会発行の「大和の伝説」から、ちょっと引用しますね。
      「一夜松山 大和郡山市八条町(旧生駒郡昭和村八条)
       天理市二階堂北菅田町に菅田池があり、一名菰池という。昔、年の頃十三、四
       歳で、顔の美しい女体の神様が、御手に白い幣を持ってこの池から出現され、
       中街道を北へ行き、隣村の大和郡山市八条の字、神楽田のところでしばらく休
       み、それから300メートルほど西の方に鎮座され、そこが一夜にして松林と
       なった。それで、ここを一夜松山とよび、菰上大明神とあがめたてまつった。
       今の大和郡山市菅田神社がそれである。中世、この南の荘園を一夜松南庄とい
       った。(天理市史による)」
       
       この菅田池は、不思議な伝承があるのですが、それはまた、菅田神社の紹介を
       ご覧くださいませ。
       
       そう考えると、ここ菅田比売神社の御祭神が、清め祓いの女神であるというこ
       とが、大変意味深に感じられません?
       
       彼女は何を清めたのでしょう?
       
       伊邪那岐命のように、この池でなんらかの穢れを清めた男神がいたのだとした
       ら、それはいったい?
       もしそれが菅田神社のご祭神、菅田比古命だとしたら、何の穢れを清めたので
       しょうか?
       
       嫁を取るような、荒ぶる神としての一面を、清め祓いによって鎮め、地主神と
       したというのでしょうか。
       
       それとも、荒ぶる神に、「神の嫁」を捧げることで、静かな神としたのでしょ
       うか?
       
       折口信夫の「水の女」では、女は神を大切に……神の大切な部分を大切に……
       封印し、そして時がくれば開放する役割を担っていたと言います。
       開放された神が求めたのは、「女」。
       つまり、そこで繰り広げられたのは、神と神の嫁たる女との、性の儀式であり
       ましょう。
       
       コマノはもしかしたら、菅田姫とイコールだったのかもしれません。
       
      「嫁取り橋」は、「嫁娶る橋」。
       つまり、神の嫁が渡った橋ではないか?などと。
       
       女たちは、神に攻め込まれたのではありませんでした。
       女たちは、神を受け入れ、包み込み、癒し、鎮めたのでしょう。
       
       コマノは、神に大変愛された嫁だったのかもしれません。
       それだからこそ、その死後、大切に祭られたのでしょう。
       そして、彼女の形見であった「小狐丸」は、大切に石上神宮に奉納され、祭ら
       れたのかも。
       
       そう考えると、何かしっくりくるような気がします。

home 神社のトップに戻ります back