祭 神:菅田比古命 説 明:大和史蹟研究会発行の「大和の伝説」から引用します。 「嫁取橋 大和郡山市八条町(旧生駒郡平端村八条) 昔、筒井村に、一軒の茶屋があった。この茶屋に、十八になる『こまの』と いう生娘がいたが、毎日のようにここを通って大阪へ通う二十四、五の飛脚 を、恋い慕うようになった。その飛脚は業平を思わせるような美男子であっ た。 その日も、飛脚は夕方遅くここを通り合わせたので、娘は、行く道の難儀な ことを説いて、無理に彼を宿らせることにした。 夜ふけて、娘は異様な姿をして、ひそかに飛脚の室にしのび込んだ。これを 見た飛脚は驚いて、自分の誓いの破れることを恐れ、その場を逃げ出した。 かれは親の病をなおすために三年間女と関係しないと、神に誓っていたので ある。娘は男の後を追っかけていった。男は東へ東へと走ること数百メート ル、ちょうど大きな淵のところへ来たから、その横にある一本の松によじ登 った。娘がそこまで追っかけてくると、男の姿は見えなくなり、ぬぎ捨てた 一足の下駄が見つかった。ハッと驚いて向こうを見ると、月の光で、男の姿 が鮮やかに池の中に見える。さてはと、娘は水中に飛び込んだ。そして大蛇 と化したのである。 大蛇となった『こまの』は、その後、女さえ見れば、恋人を他人にとられる のを恐れて、これをとり殺した。 あるときも、籠に乗った花嫁が通り合わせたが、急に雨が降ってきたので、 籠かきは、籠を木陰に置いて村へ雨具を借りに走り、ただちに帰ってみると、 花嫁の姿が見えない。これは大蛇が雨で騒がせて、その間に女をとったので あった。 それで今でも淵の前の小川にかかった橋を嫁取り橋といい、嫁の通らないと ころになっている。(宮前庄次郎) こまのの墓 大和郡山市八条町(旧生駒郡平端村八条) 八条の庄屋に、ひとりの乳母がいて、いつも子供の守をして、付近の土山で 遊んでいた。この土山には、親子の狐がいて、いつもここへくる乳母とは心 安くなっていたが、不幸にも、親狐は、仔狐を残して死んでしまった。乳母 は、これをたいへん哀れんで、仔狐を庄屋の子と乳兄弟にして育ててやった。 小狐は成長して必ずこの恩を返すことを誓った。 庄屋の子どもも成長して、親のあとをついで庄屋になった。そのころ、藩主 の命令により、この村で嫁取り大蛇を退治せねばならぬことになり、抽籤を して、庄屋がその籤にあたった。庄屋は大変心配をした。 狐は今こそ御恩返しの時がきたと思い、夜半勅使の大行列を作って、石上神 宮に練り込み、御用だといって神剣を借り出し、その威力により、めでたく 大蛇を退治してしまった。 その翌日、淵のほとりに、ずたずたに切られた蛇の尾が見つかった。人々は、 その尾を拾って、村の北方に埋めた。 今もこまの墓といわれ、細長い形をして残っている(宮前庄次郎) 住 所:奈良県大和郡山市八條町619 電話番号: ひとこと:同じく大和郡山市にある源九郎稲荷神社の社伝では、こまの大蛇の尾からは、 一振りの刀がでてきたので、「小狐丸」として、石上神宮に奉納したとか。 能の「小鍛冶」では、刀鍛冶が重要な刀を打たねばならなくなったとき、伏 見稲荷に参ったところ、一人の男が相槌をすると申し出てくれたため、見事 な刀を打つことができたなんて話です。 そしてその刀の名が「小狐丸」。 相槌を勤めた男は伏見稲荷の化身だとか。 なんにせよ、稲荷と小狐、刀は関係が深そうなのです。 そしてこの菅田神社のそばには、「子守神社」が鎮座します。 ご祭神は蛭子命。 「流される神」ですね。 流される神となると、少し離れてしまいますが、田原本町にある、秦楽寺の 伝承が気になってきます。 詳細は、市杵島姫神社の紹介をどぞ。 なんにせよ、このあたりはいろいろと絡み合ってきそうなのですよね(^^ゞ それにそもそも、コマノの話は不自然です。 だいたい、大阪から通う男が女を振って池のはたにある大木に登り、女は池 に映った男を見つけて池に沈んだという話は、在原業平と河内姫の話とまっ たく同じ。 飛脚が「業平のような美男」とわざわざ断ってあるのは、「業平の話だよ」 と暗に言っているようです。 それよりは、大蛇にとられた嫁こそが、筒井村(別伝では龍田の娘というも のもあるようです)のコマノであったと考える方が自然です。 嫁入り前のコマノが、人柱とされた菅田の池。 その池の主を、石上神宮の使いであり、稲荷の使いでもある狐が退治した。 そう考える方がよほどスッキリします。 そして、この菅田池からは、美しい乙女が出てきており、彼女を祭ると思わ れる菅田比売神社は、穢れ祓いの女神を祭るのです。 ……このへんは、菅田比売神社の紹介をご覧ください。 つまり、この地には、「清め」の作用が深く求められたのではないかという 気がしてなりません。 石上と稲荷、そして菅田を結ぶ点と線とは? 興味が尽きないのです。