祭 神:生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神 説 明:境内案内板を転載します。 「神功皇后新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江田蓑島、後の渡 辺の地に奉祀せられたことに始まる。 延喜式神名帳には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、往古よ り産土神として今日に至る。 坐摩(いかすり)の語源は、土地又は居住地を守り給う意の居 所知(いかしり)が転じたものと伝わる。 天正十(1582)年豊臣秀吉の大坂城築城の際、替地を命ぜられ、 寛永年間現在地に遷座、現在の鎮座地名を渡辺と称するのは先 の地名が移されたことによる。故に全国の渡辺・渡部等の姓の 発祥の地とされる。 明治天皇御誕生に際し宮中より御安産の御祈願を仰せつかり、 秋季大祭当日(旧暦九月二十二日)皇子無事御降誕あらせられ る。明治元年、明治天皇大阪行幸の折、当社に御親拝になり、 境内での相撲を天覧遊ばされる。 昭和十一年官幣中社に列せられる」 住 所:大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号 電話番号:06−6251−4792 ひとこと:白鷺神使守り説明には、 「白鷺は坐摩神の「神使」。神功皇后が坐摩神の御教により摂津 国大江の岸田蓑の松枝に白鷺の群がる所を選び奉斎された故事 に由来する」 とあります。 ゆえに神紋も白鷺なんですね。 波比岐(はひき)神・阿須波(あすは)神については、古事記 によると、大歳神と天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ) の10柱の御子神のうちの2柱です。 阿須波神は、足場で、家や旅立ちの神様。波比岐神は、這入君 (はしき)で、屋敷神様なのだそうです。 生井(いくゐ)神・福井(さくゐ)神・綱長井(つなながゐ) 神については、資料がありませんが、すべて「井」がついてい ます。井は水に通じ、水は薬に通じます。 また、「産湯」にも通じますね。 この祭神の神徳を「住居守護・旅行安全・安産」と由緒書には 記されていますから、「井」は「安産」の為の産湯なのかもし れません。 おなじ場所に陶器神社があります。 さて、栞に旅行中の安全を坐摩神に祈る防人の歌が万葉集に載 っている、とありますが、それは、 「庭中の阿須波の神に木柴さし、吾は斎はむ帰り来までに」 のことでしょうか。昔の旅は、今の旅行と違い、「無事に帰っ てくる」ことが大切だったんでしょう。 しかし、よくわからないのが、「庭中の阿須波の神」って表現 なんですが、何を、阿須波の神に見たてているんでしょうか。 祠?だとしたら、庭中のってのは、変ですよね。 足場、と考えたら、庭石? 庭石に、木柴をさすのは、無理ですよねぇ。 あ、そうか! 「庭中」は、「にわじゅう」じゃなくて、「にわなか」ですね。 庭の中に、阿須波の神様の祠があるんですね。きっと。 自己完結。失礼しました。