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牛久保八幡神社

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  祭  神:仁徳天皇 応神天皇
  説  明:平成祭礼データによりますと、
      「社伝によれば、天平神護(七六五〜七六六)の頃、三河国は日照りがつづ
       き五穀実らず飢饉となった。
       朝廷では穀倉を開いて庶民をお救いになったが、その翌年もまた不作とな
       り、里人は離散し土地は荒れるにまかせられた。
       その頃この地は常荒と呼ばれたという。
       国司は住民の心の荒ぶことを憂い、氏神の社殿を建てて仁徳天皇をお祭り
       して人々の心のよりどころとした。
       これが八幡社の始まりで、その頃は若宮殿と称せられたと伝えられている。
       これは今から千二百年余りも昔のことである。
       平安時代には国司大江定基、鎌倉時代には守護安達藤九郎盛長らの尊信篤
       く、しばしば参拝せられ社殿の修造もあったということである。
       永享十一年(一四三九)一色時家がここに一色城を構えると、神域をとと
       のえ社殿を修造申し上げた。
       明応二年(一四九三)牧野成時(号は古白)が領主になると、城中にあっ
       た武神八幡宮を城外に移し若宮殿にあわせ祀って、社殿を修復するととも
       に祭礼を盛んにした。
       若宮殿はこれより若宮八幡宮と呼ばれるようになり、さらに四百年程たっ
       た明治五年(一八七二)には八幡社と改称され現在に至っている。」
       とあります。
  住  所:愛知県豊川市牛久保町常盤164
  電話番号:
  ひとこと:2003年4月6日、この神社の若葉祭(通称うなごうじ祭・うじ祭)を
       見てきました。

       案内によりますと、このお祀りは、
      「一色城主牧野成時(古白)が、ある年の四月八日に、この若宮殿に参詣し
       た時、駿河の領主、今川氏親より馬見塚(現豊橋市)に築城を命じられま
       した。喜んだ古白は、社前の柏の葉で御神酒を献じて家臣と共に祝い、家
       紋を三ツ柏に改めました。
       この時、境内の若葉が照り映えているのを見て詠んだ古白の句
      「きのうけふ 若葉なりしか杉の森」にちなみこの祭りを「若葉祭」と呼ぶ
       ようになりました。
       古白はじめ、代々の城主は、若葉祭の時、領民の主だった者を城中に招い
       て酒食をふるまいました。酒に酔った領民たちは、帰る途中ごろごろと路
       上に寝転んでしまいました。
       この様子を今に伝えているのが、祭りの神幸行列の最後尾を受け持つ「や
       んよう神」の一行です。路上に寝転ぶ様子は「うじむし」に似ているとこ
       ろから、この祭は「うなごうじ祭」とも呼ばれています。」

       なにしろ、この「うなごうじ祭」は、天下の奇祭なのです。
       たくさんの見物客で溢れていました。
       私のように他地方からの客も多かったでしょう。

       さて、この神社の由緒を読んで、一つ不思議なことがあります。
       この神社のご祭神は当初、仁徳天皇一柱だった、とかかれています。
       なのに、社名が、「若宮殿」。

       通常、「若宮」とは、「御子神」を祀る社につけられます。
       つまり、仁徳天皇の場合は、応神天皇がまずお祀りされていて、その後に、
       仁徳天皇がお祀りされるようになった場合に、「若宮」とつけられたとす
       る方が自然に思えるのです。

       はじめから仁徳天皇一柱だけが祀られているのに、なぜ「若宮」と称され
       たのでしょう?

       また、この神社は、「八幡神社」。
       八幡神社は、「八幡大明神」つまり、応神天皇のお社です。

       そう考えても、まず仁徳天皇がお祀りされていることに、少し、違和感を
       感じます。話の前後がちょっとおかしい。

       なんとなく、なんとなく。
       本当は、「豊作の願いを込めて」祀られた神様は、仁徳天皇ではなかった
       のでは?
       と思えてきます。
       本来のご祭神を覆い隠すために、仁徳天皇を担ぎ出してきた、そんな印象
       があります。

       仁徳天皇は、「民の家から煙があがってないのを見て、自分も質素な生活
       をした」という、賢君ですから、不作の時にお祀りするのは、不思議では
       ないですから。

       それでは、本来このお社にいらっしゃったのは、どなたなのでしょうね?
       それは、私にはわかりません。

       ただ、うなごうじ祭りは、地元の人々が一体になって、楽しく盛り上げて
       おられる印象のあるお祭りでした。

       きっとこのお社の神様も、地元のかたがたに愛される神様なのでしょう。

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