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奈良豆比古神社

narazuhiko




  祭  神:奈良豆比古神 志貴皇子 春日王
  説  明:栞を引用します。
      「万葉歌人としても有名な志貴皇子(田原天皇・春日宮天皇)を祀
       る神社『奈良豆比古神社』、平城山(ならやま)の東端に位置し、
       奈良市街地から約4キロ来たへ奈良市の北端、京都府との県境に
       近く、『旧奈良〜京街道』に面した処に『奈良坂の氏神さん』と
       土地の人に敬愛されている古社が奈良豆比古神社(延喜式内社)
       である。大きな石灯籠と狛犬が目につく、石の鳥居をくぐり、右
       手に鏡池を見ながら、古い灯篭をわけて石畳が拝殿へと続いてい
       る。正面の一段高い柵内に春日造りの三神殿がある。祭神は中央
       に、『産土の神・平城津彦神(奈良豆比古神)』、右側に『志貴
       皇子(田原天皇・春日宮天皇)』、左側に『春日王(志貴皇子の
       子』である。
       この神社は二十年毎の『御造替(ごぞうたい)』を戦時中も欠か
       すことなく氏子によって行われているので建物も塗りもきれいで
       ある。境内には、巨大な『児の手柏(万葉の樹)』の切り株があ
       る。惜しくも昭和二十七年(西暦1952年)枯れたが、植物学
       者の小清水卓二帝塚山大学教授が『樹齢千三百年にもなろうか』
       と嘆息された古木であった。更に本殿裏の境内地にひときわ目立
       つ『樟』の巨樹は、奈良県の天然記念物で、根元幹周り約十二・
       八メートル、樹高約三十メートルにも達し、まさに古色蒼然とし
       て、千二百年前『田原天皇の子、田原太子(春日王)が療養のた
       め、大木茂る平城山の一社に隠居さる』との伝説を裏付けている。
       古く『延喜式神名帳』に、添上郡奈良豆比古神社の名が出ており、
       その縁起にいう。
      『光仁天皇宝亀二年(771)正月二十日、施基(志貴に同じ)皇
       子を奈良山春日離宮に祀る。のちに田原天皇とおくり名をたてま
       つる。』
       志貴皇子は万葉歌人としても名高く、天智天皇の子であり光仁天
       皇の父である。
       天武系で占められた奈良期末期、称徳女帝に子がないところから、
       天智計の光仁が即位、父志貴も大きくよみがえった。
      『田原天皇』とも呼ばれるが、『春日宮天皇』として、その陵は、
       高円山裏の『矢田原』にある。
       奈良豆比古神社が古くから『奈良坂春日社』と称された由縁であ
       り、いわゆる『春日大社』とは全く異なるものであるの説もある。
       春日王は、志貴の第二皇子であり、桓武に続く平城天皇と縁が深
       いが、『歌舞音曲の司神』とされた同社の祭神にふさわしいもの
       がある。
       それは春日王には二人の皇子『浄人王(弓削首夙人)と安貴王
      (秋王)』がいて、『浄人王』は散楽俳優(さんがくわざおぎ)を
       好み、その芸術をもって明神に祈り、父の病を治した。すなわち
       世に言う『猿楽・芸能の翁・三番叟』等の面は浄人に起こると。
       当郷の人芸能をなすは、この余風なり・・』
      『奈良坊目拙解』奈良神社の条の一節だが、能楽の源流である『猿
       楽』がこの神社で発達したことは確かである。奈良県指定無形文
       化財及び、国の無形民族文化財記録選定であり、同神社に伝わる
       二十面のうち、能面『ベシミ』は室町初期(応永二十年)の銘を
       もつ最古のものであり、『司神』として歌舞音曲の役者たちが、
       明治維新までこの神社に詣でて許しを得たものであった。」
       てにをはなど原文ママ。
  住  所:奈良市奈良坂町
  電話番号:
  ひとこと:奈良豆比古神は、この地域の産土の神様のようですね。
       それでは、志貴皇子について、わかるだけ調べてみましょう。

       栞にあるように、この皇子は、天智天皇の第七皇子。
       母親は采女であった・越道君娘。
       母親の身分といい、7番目の皇子であることといい、表舞台には、
       立たされることのなかった皇子でしょう。

       しかも、天智天皇の死後、朝廷は天武色が濃く、天智系の皇子は、
       肩身が狭かったといいます。

       それでも、天武天皇のいわゆる「六皇子の盟約」に名を挙げてい
       ますから、天武天皇は、この皇子をどこかで見込んでいたのかも
       しれません。

       栞には、皇子の和歌が二首紹介されています。

      「いわばしる 垂水のうえの さわらびの 
                     萌えいづる 春になりにけるかも」
       
      「むささびは こぬれ求むと あしひきの
                      山のさつおに 会いにけるかも」

       1首目の歌は、読んだそのままの意味でしょうね。
       水辺に萌え出でたわらびに春を感じている歌ですね。

       さて、2首目です。
       この歌は、直訳すると、むささびが枝から枝へ飛びわたっている。
       次の枝に飛び移ろうとしたのに、猟師に会って(捕まって)しま
       ったのだ。というような意味ですね。

       これは、そう、大津皇子のことを詠っているのでしょう。

       二首とも、感情を抑えた淡々とした歌ですね。
       大津皇子に対して志貴皇子がどのような感情を持っていたかは、
       わかりません。
       ただ、大津皇子を、自由に飛び回る「むささび」に喩えた彼は、
       もっと自由に自分を表現したり、意見を言ったりしたかったのか
       も知れません。

       志貴皇子の歌で最も有名だと思われる、

      「采女の 袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたづらに吹く」

       これも、采女の袖を吹き返した明日香の風が、都が遠くなってし
       まって(都が明日香から藤原に遷ったため)、虚しく吹いている
       といったような歌ですね。

       う〜〜む、これまた、淡々。

       良く言えば、透明な人物だったんでしょうね。
       悪く言えば、何にも執着しない人物なのかも。
       執着心がない、というのが長所なのか短所なのか、難しいですが
       ね。
       
       だからこそ、天武天皇は、六皇子の一人に選んだのかも知れませ
       ん。
       そして、だからこそ、皇子自身は、政治に深くタッチしなかった
       のでしょう。

       飛翔しないむささび、志貴皇子は、もう一度、人生をやり直せる
       としたら、どんな人生を望むでしょう?

       木々の間をすいすいと飛び回るむささび・大津皇子のような人生
       を望みはしないでしょうか?

       努めて感情を殺した、皇子の和歌に、自由への渇望を見てしまう
       のは、気のせいでしょうかねぇ?

       ついつい、月並みでつまらない感想をもらしてしまいます。
      「あぁ、平凡に生まれてきてよかった」
       ってね。
       
       そしてやはり注目しておきたいのは、この神社と「春日」との関
       係でしょう。
       春日王は病気療養のためこの地へ来たと言いますが、奈良坂には、
       ハンセン病患者の療養施設「北山十八間戸」がありますから、春
       日王もハンセン病だった可能性が高いですね。
       そして、春日王の病平伏を祈り、翁舞が始まったというのも、非
       常に興味深い。
       
       山添村の春日神社は、鹿島からやってきたタケミカヅチが立ち寄
       ったとされる神社ですが、古くから翁舞が伝わっています。
       神事が終わった後に奉納されるのですが、氏子さんたちはみな直
       会で大騒ぎをしていて、誰も見ていないのが気になっていました。
       病魔が関係しているのなら、それも当然なのかもしれません。
       
       そして、春日の主と伎楽の関係。
       タケミカヅチに領土を奪われた春日の主は現在、榎本神社に鎮ま
       っていますが、彼はいったん桜井へ隠遁したという伝承があるそ
       うです。
       現在の安倍寺廃寺跡付近だそうですが、桜井の語源となった豊浦
       寺の「榎葉井」も「榎」の文字から気になりませんか?
       ここは伎楽発祥の地ともされています。
       そして、隣接する甘樫坐神社には、耳の遠い神様(春日の主は耳
       が遠いとされています)を呼ぶための木板と木槌がありました。
       
       元春日とも表現される、恩智神社や、奈良の倭文神社が人身御供
       の名残を感じさせる祭を伝えているのも気になりますし。
       
       なんにせよ、気になる神社です。
       
       2013年10月8日「翁舞神事」を見学してきました。

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