renai

丹生神社

nyuwakayama




  祭  神:丹生都比売命
  説  明:天平年間の頃にできたという「丹生大明神告門」によると、
      「丹生都比売大神は、天照皇大神の妹神で稚日女命とも申し上げ、
       神代この紀伊国奄田(三谷)に御降臨され、御子高野御子大神と
       共に紀伊・大和地方を巡歴、終焉の聖地として天野原に上り
      『朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に常世の宮として鎮まり給う』」
       と記されているそうです。
  住  所:和歌山県那賀郡那賀町名手下
  電話番号:
  ひとこと:和歌山那賀郡には、「丹生神社」が、地図で見ただけでも、もう
       一つあります。
       紀伊半島全体を眺めると、あちらこちらに、「丹生」の文字が、
       散見できます。
       ただ、全ての神社において、「丹生都比売命」を祀っているわけ
       ではないようです。
      「丹」は、「水銀」をいつのころからか表してきました。

       なにがしさん提供の情報によりますと、
       早稲田大学松田教授の「丹生の研究」に、
      「古来日本では、水銀を『に』という言葉で指標し、
       古来支那では、同じく『丹』という言葉で指標していた。
       そのようなことから、
       本来『に』という訓読みのなかった『丹』という字を、朱砂を意
       味する文字として使用したのは、水銀の扱いに長けた氏族であろ
       う」
       とあるそうです。

       丹生都比売は、水銀に関する技術を持っていた丹生氏やその他の
       氏族が、祭祀してきた女神。

       丹生氏は、なぜ、中国大陸で、水銀を『丹』という言葉で表すこ
       とを知っていたのでしょうね?
       丹生氏自体が、中国大陸を出自とするのか、水銀の技術を持ち、
       丹生都比売を奉祭する民族を、豪族であった丹生氏が、迎え入れ
       たという可能性もあるかも知れません。

       さて、「丹生大明神告門」によると、丹生都比売には、御子がい
       たとなっています。
       御子と共に、比売は、紀伊半島を巡歴したとありますが、旦那は?

       置いてきぼり?(T_T)

       母子信仰の一種なのかも知れません。

       あらゆる記紀以外の古伝の宿命として、偽書の可能性を持ってい
       る書物の一つですが、滋賀県安曇川の三尾神社の神宝として伝存
       されてきたと言われる、「秀真伝(ホツマツタヱ)という書物が
       あります。
       偽書であるかどうかは別として、この書物には、丹生都比売(稚
       姫)について詳しく書かれているので、少し引いてみましょう。

       ワカ姫は、タカヒト(イザナギ)とイサコ(イザナミ)の長女と
       して生まれますが、両親の厄年に当った歳に生まれた為、精進落
       としの為に、形式として、磐樟船に乗せられ、川に捨てられます。
       そして、下流で待ち構えていた、カナサキ神(住吉神)に拾われ、
       すくすく育つのです。

       彼女は、歌を詠むのが上手く、「和歌」の名は、ワカヒメから来
       ている、と、この書物にはあるくらいです。

       そんな彼女が恋したのは、アチヒコ(思兼命)。
       歌の上手い稚姫は、
      「きしい(紀州)こそ 妻を身際(みぎわ)に 琴の音(ね)の
       床(とこ)に我君(わぎみ)を 待つぞ 恋しき」
       とラブレターを送り、二人は結ばれるとあります。
       いい歌なのかどうか、私にはわかりかねますが、回文で、恋を打
       ち明けてますね。
       回文ってのは、上から読んでも下から読んでも同じ文章のこと。
      「アブラカタブラ」の呪符などを見ればわかるように、「どこから
       読んでも同じ文字」というのは、そこに、魔を閉じ込める意味が
       あり、古来、強い呪力を持つとされていたみたいです。

       そんな「呪文」で、恋を打ち明けるとは、なかなかの女傑ですね。
      「逃さんで〜」という気迫を感じます。

       ここでは、丹生都比売の夫を、八百万の神の智恵袋であった、思
       兼命としていますね。
       そう言えば、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある「蟻通神社」の祭
       神は、思兼命でした。

      「丹生」と名のつく神社と「蟻通」と名のつく神社は、関連が深い
       ような気がします。「丹生」神社の末社に「蟻通」神社があった
       り、その反対だったり。

       この伝承も、あながち外れていないような気がしますね。

home 神社のトップに戻ります back