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祭 神:天照皇大神 姉倉比賣命 大己貴命 武御名方主命 豊受大神 説 明:境内案内板から転載します。 「この舟倉の地一帯は、神代の昔から拓け、古事記日本書紀によると、紀元前三十年頃に、姉倉比賣がこのあたり の〇〇を征伐統治され、後に農耕と養蚕を地元民に〇〇噛みとして尊崇されたと記してある。 神苑は老樹鬱蒼とした高陵、〇〇天然記念物に指定されている赤樫〇〇そして入母屋造りの社務所がある。 この社は、昔の神仏混交の名残〇〇虚空蔵菩薩を護持して三十三年に〇〇。今も伝承されている」 住 所:富山県富山市舟倉2360 電話番号: ひとこと:案内板の字が消えていて、〇〇だらけですみません。 姉倉比賣の名は記紀神話に登場しなかったはずなので、一行目の「古事記日本書紀」も間違いかもしれません。 ただ、地元の伝承が残っているようです。 それによると、姉倉姫は、「いするぎひこ(伊須流伎比古)」と婚約していたのだけれど、能登姫が伊須流伎比 古をたぶらかし、姉倉姫と伊須流伎比古の間に戦が起こります。 姉倉姫は舟倉山、伊須流伎比古は補益山を本拠地として激しい争いとなるのですが、大国主が仲裁。 姉倉姫は心を改めたので許されましたが、伊須流伎比古と能登姫は大国主により滅ぼされたというのです。 大国主は、姉倉比賣を説得するときに、苧麻を織った旗を五色に染めて舟倉山に上ったとあります。 多分何かの暗喩なのでしょうが……。 伝説を史実を考えるのも危険ですしね(^^ゞ 戦のあと、姉倉比賣が移すり住んだとされる呉羽山にも、姉倉比賣神社が鎮座しています。