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諭鶴羽神社

yudsuruha




  祭  神:伊弉冉尊 御子速玉之男命 事解之男命
  説  明:境内案内板を転記します。
      「一、ご祭神
      『国生み神話』で知られた、伊弉冉尊さまを主神に、その御子速玉之男命、事
       解之男命の三柱の神様をお祀りしてある。
       神代の昔、夫神の伊弉諾尊さまと共に、はじめて夫婦の道をひらき給い、日
       本の国土を修理固成(つくりかためな)され、多くの神々を生み給うた『母
       なる神様』である。古来、五穀豊穣、水源守護の神であり、淡路の産業の振
       興の神様として、また縁結び安産、夫婦和合、家内安全の神様として広く崇
       敬され、源平の昔からお宮の灯りは燈台がわり、海陸交通安全の神様である。

       一、ご由緒
       社伝によると、およそ二千年の昔第九代開化天皇の御代にイザナギ、イザナ
       ミ二柱の神さまが鶴の羽に乗り給い、高天原に遊びたもうた。狩人が鶴の舞
       い遊ぶのを見て、矢を放つ。羽に矢を負った鶴は、そのまま東の方の峰に飛
       んでかくれた。狩人、その跡を追って頂上に至るとカヤの大樹があり、その
       梢にかたじけなくも日光月光と示現したまい
      『われはイザナギ、イザナミである。国家安全・五穀豊饒成就を守るため、こ
       の山に留るなり、これよりは諭鶴羽権現と号す』と唱えたもうた。狩人、涙
       を流し前非を悔い、その罪を謝し奉り、弓矢を捨てその地を清め大工を招き
       一社を建て神体を勧請し奉る。
       狩人、権現の社を受領して庄司太夫と号し一生神に仕えたりという。
       社名・社紋鶴丸の起こりであろう。
       また別に、昔、西天竺の霊神が第十代崇神天皇の御代に五つの剣を東に向か
       って投げられ『我が縁のある地留れ』と誓いたもうた。
        一は、紀伊国室の郡(熊野三山のこと)
        一は、下野国日光山に
        一は、出羽国羽黒山に
        一は豊前国彦山に、そして
        一は、淡路国諭鶴羽山に留まったと伝えられる。
       また、熊野権現御垂迹縁起によると、その昔、
        甲寅の年、唐の天台山の霊神が九州筑紫国、英彦山の峯にご降臨され、
        戊午の年、伊予国、石鎚の峰に渡られ、
        甲子の年、淡路国、諭鶴羽の峰に渡られた後、
        庚午の年、熊野新宮、神蔵の峰に渡られた云々……と伝えられる。
       ともあれ、その創建は遠い昔のことであり、自然崇拝、山岳進行に始まり平
       安時代に修験道が盛んになるにつれ、この山も前記の山々と共に神仏習合体
       として、大いに繁昌。
       山上一帯に二十八宇の大伽藍を建て、熊野権現と並んで修験の霊場として栄
       え、熊野権現奥之院また熊野元宮とも称えられた。
       その、ご神威は京の貴族社会にまで知られていた。
       
        峰は ゆずるはの峰 あみだの峰 いや高の峰  (清少納言 枕草子)」
  住  所:兵庫県南あわじ市灘黒岩472番地
  電話番号:0799−56−0315
  ひとこと:現在、日本で鶴が生息しているのは、北海道だけです。

       でも、日本各地に「鶴神話」はたくさんありますよね。

       民話「夕鶴」の舞台はいったいどこなのでしょう?
       玉手箱を開けた浦島太郎は白い髭のおじいさんとなり、ついには鶴となって
       しまうのですが、彼の住んでいたのは丹後半島あたりだと言われています。
       
       神社のご由緒にも「鶴」は結構よく見かける気がします。
       
       例えば、播磨の伊和神社は、鶴が舞い踊ったとされていますね。
       また、讃岐の白鳥神社は、大和武尊の魂が鶴に変じて飛んできたという伝承
       が残されています。
       
       讃岐の白鳥神社のそばには、鶴尾神社もあり、
      「霊鶴の奇瑞にちなみ鶴尾八幡宮と奉称した。」
       という説明が、ご由緒に見えます。
       
       そしてこの鶴尾神社から、「峰山」を見ると、鶴が羽根を広げたように見え
       る……とも。
       
       彼らはどうして「鶴」を知っていたのでしょう?
       
       一つ考えられるのは、その昔、鶴は四国あたりまで飛来していた。
       奈良県に、スズランの群生地があると知ってますか?
       これは、その昔、まだ日本が涼しかったころ、このあたりまでスズランが自
       生していたのだが、温暖化にともない、本州に咲くスズランのほとんどが枯
       れてしまった。
       奈良県のスズランは、たまたま高地に咲いていたため、生き延びたのではな
       いかと考えられています。
       
       北海道に咲くスズランが奈良にも咲いていたのなら、寒冷の地に住む鶴が、
       四国や淡路島に来たとしても不思議はありません。
       
       ただ、ブログで交流をしている方から、
      「愛媛の宇和島城の別名の一つは、鶴島城です」
       というコメントをいただきました。
       
       戦国時代、大三島に鶴姫という烈女がいたと言う話は有名でしょう。
       
       四国北部の人たちは、なぜかくも「鶴」を愛したのでしょうね?
       
       鶴といっても、さまざまな種類がありますが、日本人にとって鶴といえば、
       とりもなおさず「丹頂鶴」ではないでしょうか。
       
      「コウ!」
       という気高く悲しげな鳴き声。
       白と黒の端正な体に、真っ赤な帽子をもつこの鶴は、優雅としか言いよう
       がありません。
       
       それ故に、ただ「美しい鳥」として愛したのでしょうか。
       
       八坂書房の「世界シンボル事典」によれば、古代ギリシャ・ローマでは、
       鶴は疲労を防ぐ護符となっていたとか。
       そして、デメテルの成鳥でもあったらしいです。
       
       また、エジプトでも、トラキアから群れをなして渡ってくる姿が信仰の対
       象とされたとか。
       
       どの国においても、鶴は神に近い存在とされていたことがわかりますね。
       
       また、春に飛来する鳥ということで、燕と同じく「春を告げる鳥」と考え
       られていたのかも。
       
       この神社のご祭神が女神であるイザナギとその子神であることを考えても、
       鶴は女性性に近いように思われます。
       
       豊饒をもたらすためにこの地に留まったイザナミ。
       ギリシャ神話の豊饒神・デメテルとの関連を考えても興味深いところだと
       思いません?
       
       淡路島は、国生みの地とされている故、イザナギ神も引っ張りだされてき
       ましたが、本来はイザナミ一柱のみが鶴となって飛来したのではないかと
       いう気もします。
       
       また、神とただ一人関わり、神社を創建したのが、「狩人」であることも
       気になるところ。
       
       今昔などで、生き物の命を奪う「狩人」は、罪の化身のように描かれます。
       でもそれは仏教的価値観で、神道ではまた違うのかもしれませんね。
       
       アイヌ民謡などでは、熊や鹿は「神」です。
       そして「神」は自分たちの体を人間に与えるために来訪するんですね。
       とすると、狩人は神に関わるとても神聖な人間であるということに。
       
       ここ、諭鶴羽神社に関わる狩人も、アイヌと同じ感覚をしていたのかもし
       れませんね。
       
       ここ、諭鶴羽神社は、淡路島最高峰・諭鶴羽山の山頂近くに鎮座します。
       行くのはちょっと大変ですが……。
       
       行って良かった!
       と心底思える、何かとても「良い雰囲気」の神社でした(#^.^#)

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