祭 神:神功皇后 仲哀天皇 応神天皇 説 明:神功皇后が三韓より帰還した西暦200年4月、一夜にしてわ き出したといわれる、和泉清水史跡が境内にあります。 また、これを瑞兆として霊泉とよび、宮としておまつりされた ので、「和泉」の国名がつけられたのだそうです。 河内国から分離した和泉国の国府となり、傍らに建立した総社 に、大鳥、穴師、聖、積川、日根野の神を勧請し、和泉大社・ 和泉総社と呼ばれたのだそうです。 住 所:大阪府和泉市府中町6丁目2番38 電話番号:0725−44−8182 ひとこと:この場所には、聖武天皇の離宮、和泉宮和泉離宮があったのだ そうで、その離宮を「珍努宮」とも称した・・・なんてお話も あるようです。 「珍努宮」なんて読むかわかりますか? 「ちぬのみや」です。 また、栞によりますと、この神社にある史跡として、「小竹宮」 (しののみや・神功皇后離宮)が挙げられています。 「ちぬのみや」「しののみや」似ていますね。 「小竹宮」は、日本書紀の「神功皇后紀」に出てくる地名です。 誉田別命(応神天皇)の立太子を阻もうとする、誉田別命の兄・ 麌坂王と忍熊王の、反乱に合った神功皇后は、南海から難波方面 に向かいます。 が、船が進まず、武庫の港に帰って、天照大神の荒魂を広田神社 に、稚日女尊の御魂を生田神社に、事代主命を長田神社に、三筒 男命を大津の渟名倉(ぬなくら)の長峡に祀り、紀伊の国の、日 高へ向かわれます。 さて、播磨にいた忍熊王は、占をたてて、「もし、ことが成功 するなら良い獲物がとれるだろう」と仮宮の桟敷にいたところ、 赤い猪が飛び出してきて、麌坂王を食べてしまうんです。 むちゃくちゃ不吉!! それでも懲りない忍熊王は、一旦住吉に退却し、その後、宇治 に陣取ります。 はい、今、神功皇后は日高に、忍熊王は宇治にいますね。 その後、神功皇后は、群臣と謀って、忍熊王を討とうと、「小 竹宮」に移ります。 ってことは少なくとも、日高より、宇治に近いんじゃないか? と思いませんか? 今現在、「小竹八幡神社」がある御坊市は、日高より、まだ南 にあるんですよ。 としたら、「小竹宮」は御坊市の「小竹八幡神社」ではなく、 和泉市にある、「泉井上神社」であると考える方が自然なよう に思いませんか??? だとしたら、同じく和泉市にある「伯太神社」に、「小竹宮」 の祝が祀られているかのヒントになるのですが。