祭 神:正勝吾勝々速日天忍穗耳命 天菩卑命 天津日子根命 活津日根命 熊野久須毘命 多紀理毘賣命 市杵嶋比賣命 多岐津比賣命 神倭磐余彦命 恵比須大神 菅原道真公 説 明:境内案内板を転記します。 「天忍穂耳命より多岐津比賣命に至る八柱の神々は天照大御神の御子にして八王子又初 王子とも申し奉り、天忍穂耳命は皇孫邇々藝命の御父神であらせらる。 御弟神と共に国土平定に遣はされ給ひ、殊に三女神は海上を主宰り航海 の 守護神として尊崇せらる。 恵比須大神 菅原道真公は学問の神である。 当社は元 するは八王子 神を祭祀せるを改めてなり、常 は、 年(約一千年前)熊野三山( )信仰盛んな 崇敬さる(御手洗の地蔵 ) 天正十三年三月 根来征伐の折、兵火に罹り、社殿旧記は悉く灰 燼に帰し、 するものなし。 今の社殿は江戸初期の建築にして桃山時代の手法を残している。 たゞ頼のめ 神の御稜威の尊としや やがて晴れゆく ちぬのあけぼの」 住 所:大阪府泉南市樽井2144 電話番号: ひとこと:この神社に参拝していると、どこからともなくお囃子が聞こえてきました。 正確なリズムを刻む太鼓の音。 勢いがあり、ゆらぎのない笛の声。 いや、お囃子について論評できるほど、数多くのお囃子を聴いたわけじゃないので すが(笑) うちの近所の、「親しみ易すぎ」というか「しろうとはだし(注:小中学生の皆さ んへ、『しろとはだし』という言葉は正しい日本語ではありません。間違っても作 文に使っちゃダメだからね!)」なお囃子に比べると、 「喫茶店のBGMに流れてても違和感ないくらい」 の完成度ではあったと思います。 そんなわけなんで、わたしゃ、かなり熟練のおっちゃん達の演奏だろう、とあたり をつけ、音のする場所へ行ってみたのです。 ところがっ!! みんな若いんだわ。 高校生くらい?? 「むっちゃうまいっ!!写真撮りたいっ!!」 おばちゃん、思わず身もだえしてしまいましたらば、 「いいっすよ」 と、再度演奏してくれたんです。 気前いいなぁ、ありがと〜!! だんじりの曳航は2度あり、 神社の秋祭りは10月10日。 10月3日は、駅前での練りがあるそうです。 秋のお祭の演奏を、8月から練習してるんですもん。 やっぱ、彼らは「お祭のプロ」なんでしょうね。 うまいはずだわ。かっこいいはずだわ〜〜〜。 ・・・さて、茅渟神社のご由緒なのですが・・・。 すいません(^^ゞ 木の看板ゆえ、かなり判読不能なのです。 ということで、読めないところは、空白にしております。 申し訳ないですm(__)m しかし、面白いのは、境内摂社の「市杵島姫神社」にある由緒案内です。 ちょっとここに転記してみましょう。 「御祭神 市杵島姫 市杵島姫命は、天照大御神の御子であって、皇孫邇々藝命降臨に際し、「よく養育せ よ」との御神勅を奉じて、邇々藝命を立派に生育せしめ給ふ御神徳高き神であって、 それより(子守りの神、子供の守護神として尊崇篤く、子供の病気、夜泣き、疳虫、 夜尿症、病弱等)祈願すれば其の霊験著しく、又、海上安全、航海守護の神として古 来より崇敬され信仰さる。 尚、弁財天とも称へられ、福徳授けらる。」 まず面白いのは・・・本殿の説明にも言えることですが・・・市杵島姫を天照大神の 御子神としているところでしょう。 案内にもありますが、 正勝吾勝々速日天忍穗耳命・天菩卑命・天津日子根命・活津日根命・熊野久須毘命・ 多紀理毘賣命・市杵嶋比賣命・多岐津比賣命 という、八柱の神は、天照大神と素盞鳴命が「誓約」をした時に生まれた神々です。 そして、「一般的」には、男神五柱は天照大神の御子神で、女神三柱は素盞鳴命の御 子神となっています。 もちろん、日本書紀一書(第一)に代表されるように、女神三柱が天照大神の御子神 である、とする逸話もあるにはあるのですが、八柱の神全てを「天照大神の御子」と いう考え方は、結構珍しいかもしれません。 つまりですね。 この八柱の神は、天照大神と素盞鳴命の「約束事」に際して生まれた神なのです。 八柱すべてが天照大神の御子ということは、暗に、八柱すべてが素盞鳴命の御子であ るということもまた、指し示してはいませんでしょうか? もし、八柱の神のうち、五(三)柱が天照大神の、三(五)柱が素盞鳴命の、それぞ れの御子であるというのならば、天照大神・素盞鳴命は、それぞれ別個に神々を生ん だことになりますが・・・。 八柱すべてが、両方の神々の御子であるとするのならば、天照大神と素盞鳴命は、二 人で、子を成したということになりまして。 そうすると、当然のことながら、二人の間には、なんらかの夫婦の交わりがあった、 とまぁ、そう推察されるわけですね。 そうすると、この神話は、ぐっと、「現実味」を帯びてくる。 「モデルとなる何事か」が、現実にどこかで起こっていた可能性もちょびっと高くなる。 そう考えるのですが、どうでしょうか? そして、もう一つ、面白いのは、市杵島姫が、邇々藝尊を養育した神である、という 説明でしょう。 市杵島姫が天照大神の御子神ならば、邇々藝尊にとっては、叔母にあたります。 日本神話には、叔母が甥の養育をしたという話がもう一つ出てきます。 しかも、その「甥」は、長じて、その叔母と結婚するんですよね。 甥の名前は、鵜草不合葺尊。 邇々藝尊の孫にあたります。 叔母の名前は玉依姫。 彼女の生んだ子供が、初代人皇・神武天皇なんです。 邇々藝尊の妻は木花開耶姫命。 残念ながら市杵島姫ではないのですが・・・。 ただ、実は、邇々藝尊の乳母役が、市杵島姫である・・・とする伝承は、初見ではあ りません。 藤井寺市にある「辛国神社」にも、全く同じ伝承があるのです。 現在、藤井寺市は、海から離れてしまってます。 でも、古代において、この地は華やかな港町だったようです。 そして、この茅渟神社がある泉南市は、今尚海辺の町ですね。 ・・・いや、「茅渟」というのは、今の大阪港のことですから、言うまでもないか。 そんなわけで、この「市杵島姫=邇々藝尊の乳母」という伝承は、どこかの海の民の もつ民話であり、彼らが、上陸した土地にはこの逸話が残っているのだ、という推理 はできないでしょうか?? その氏続が誰かということを特定することはできませんが、辛国神社を祭祀してきた、 辛國氏と無関係では、決してけして!ないと思われます。 実は、天から降りてきた最初の人々についての民話は、ポリネシア民話にも見ること ができることをご存知でしょうか?? 子供の頃にもっていた「世界童話宝玉選」に載ってたんですけどね(T_T) なんで捨てちゃったかなぁ・・・。 しかしまぁ、後悔してもしょうがないので、その話しがどのような話しだったかを、 簡単に説明しましょう。 ***** 天に兄と妹が住んでいました。 ところがある日、妹は、兄が大事に飲んでいるお酒を、こぼしてしまったのです。 「やばい!兄ちゃん、むっちゃ怒りよるわ!!!」 焦った妹は、地面(雲)を必死で掻きとるのですが、手に残るのは、土(雲)のみ。 「うっわ〜、しばきたおされるかもしらん」 妹がしょんぼりしていると、そこに兄がやってきました。 「うわ、なんやそれ!どないしたんや、お前!」 驚いた兄の声に、妹は小さくなりました。 「お酒のこと怒ってはるんやわ、あぁ、こわ〜〜」 しかし、兄は、酒瓶ではなく、妹が掻いた地面の上に座り込み、地の下を覗き込ん でいるではありませんか・・・。 「ラッキー。なんか他のことに気ぃとられてはるわ。誤魔化したろ」 末子にありがちな要領のよさを持った妹は、これ幸いと、兄の驚きに乗じました。 「え?なになに?」 一緒に覗き込んだ妹は・・・。 「うわ〜〜〜っ!!なにこれ、なにこれ、なんなん、これ??」 まじびびりしました。 なんと地面の下には、広い世界が広がっていたのです。 兄妹は、雲の下にある新しい地に降り立ち、この地で最初の夫婦となったのです。 ***** 大阪弁でお送りしますのは、私がこのあらすじに、かなり自信がないからであり、 細部が違ってる可能性は十分あります。というか、間違いなく、間違ってます(笑) また、南の島の神話だったと記憶しているのですが、そもそもそこからが間違っ ているかも。 正しい話しをご存知の方は、是非是非ご一報を!! もしくは、「世界/日本/お話 童話宝玉選」復刊リクエストに一票を!! ・・・さてさて。 この話しは、 「兄妹=最初の夫婦」 という、日本のイザナギ・イザナミ神話にも通じますし、 「兄の持ち物を妹(弟)が損じて怒られる」という、日本の山幸彦・海幸彦神話にも 似ています。 しかし、天から地上へ降り立つ、という筋立てもまた、日本神話と似ているのです ね。 ただし、兄妹最初の夫婦譚ってのは、全然珍しい話じゃなく、世界各地にあるよう ですから、「イザナギ・イザナミの原点はポリネシア」などと言うつもりはありま せん。 兄妹(弟)の確執なんてのは、神話じゃなくても普通にある話ですから、これも、 何かの証拠とするつもりはありません。 天の人々が地に降りてくるという思想は、ありふれてて笑っちゃうくらいあるでし ょうから、これまた、「天孫降臨神話は、ポリネシアから来た人々の神話」などと 言おうとしてるんじゃないです。 私が言おうとしているのは、日本には、複数の「天孫降臨神話」が存在したのじゃ ないかということです。 そして、その一つに、天孫は、この地に降りてきて、その叔母に養育されたという エピソードがあり、その神話を奉るのが、この茅渟神社・辛国神社双方とご縁の深 い人々に違いない! ・・・ということを繰りかえし強調したい。 また、「見知らぬ土地」へ、叔母と甥がやってくる・・・なんてことは、どういう 時に起こり得るでしょうか? 甥が追放され、それに叔母が付き添ってくる。 そういうことかもしれません。 しかし、「見知らぬ土地」といえるほど遠くに、叔母と幼い甥がとぼとぼやってく るというのが、なんかこう、想像できないんですよね。 途中で狼に食われたりしそうで。 それよりも、やはり「海」に絡ませる方が自然です。 ある日、若くてきれいな(ここ重要)叔母が甥を海岸で遊ばせていた。 日差しが暖かくて気持ちいい。ついつい叔母はうとうとしてしまった。 恐れを知らぬ甥が、海辺に置いてあった船に乗り込むと、あら不思議、一抹の風が 船を海へと押し出し、波が沖へと流したではないですか。 背筋に嫌〜な気配を感じて叔母が目を醒ますと、甥がいない。 沖の方で甥のはしゃぐ声が聞こえる。 げげ!! 叔母は沖へと泳ぎ出す(なにしろ海の民ですもん。泳ぎは達者なんですよ)。 船に追いついてほっと一息も、げげ〜〜ん、櫂がないっ!! かくして、叔母と甥は、未開の島へ二人して降り立つことになったのであった。 ね?ありそうでしょ? つまり・・・。 未開の地で叔母が甥を養育するという話しは、海の民にそぐう話しですよね。 んじゃ、茅渟神社と辛国神社が、海に関係の深い神社であるのは必然じゃござん せんかっ!! ・・・・・く・・・くどい・・・(T_T) いや〜、歳とるとくどくなるんすよ。 ごめんね(^^ゞ ***後記*** 図書館で「世界童話宝玉選」(小学館 佐藤春夫監修)を借りることができまし た。 「つり針さがし」はインドネシアの民話。 ストーリーは、兄と妹ではなく、五人の兄弟の間の物語でした。 兄弟は、上からビケール(長女)、ヒアン(長男)、トンギイル(次男)パルパ ラ(三男)、メスラーング(次女)。 五人は空の上で、雲の中を泳いでいる魚を釣って暮らしていました。 確執は、兄妹の間ではなく、ヒアンとパルパラの間で起こります。 そう、ヒアンから借りた釣り針を、パルパラが亡くしてしまうのです。 ・・・まんま、山幸彦・海幸彦ですね(笑) ヒアンから、「貸してやった釣り針を返せ、他の釣り針じゃダメだ」と無理を言 われたパルパラですが、昔、逃がしてやった魚「キリパポン」に助けられます。 ケルケリーという魚が喉を痛めていることを知り、その喉から釣り針を取り出す ことに成功するんです。 こうして、パルパラはヒアンに釣り針を返すことができたわけですが、これで話 しが終わっては、何か拍子抜けでしょ? そう、復讐譚が抜けてるんです。 一計を案じたパルパラは、昼寝しているヒアンの頭の上に棚を作り、その上にお 酒の入った竹の筒を置くわけです。 「ムニャムニャ・・・」 目を醒ましたヒアンが、むっくり起き上がると・・・。 そりゃ、酒がこぼれて当然だっつ〜の。 それなのに、パルパラは、 「あ、兄さん、僕のお酒をこぼしたね、なんてことしてくれるんだ」 なんて白々しいことを言って、嘆くわけです。 ・・・なんか、前半だけを読むと、ヒアンが意地悪なようですが、つまり、あれ ですね。 パルパラの性格も、どっこいどっこいか、と。さすが兄弟(笑) で、ヒアンは慌てて雲を掻き、穴が開き、その下に地面があることがわかります。 そんで、下の地に降りてみようという話しになるわけですが、最初に地上に降り 立ったのは誰だと思います? ヒアン?パルパラ? いえいえ、わんこです。 長女のビケールが飼っていた「パタラ」という犬に綱をつけ、一旦下に降ろし、 また、引き上げると、パタラの足には白い砂が付いていました。 ・・・ノアの方舟神話における、鳩のような役割ですね。 「やっぱりよい地があるみたい」 これで確信した5人は、それぞれ自分のわんこを連れて、地に降りるのです。 ただ、末っ子・メスラーングだけは怖がってしまい、結局天の上に戻りました。 この時、4人は、それぞれ自分の犬を連れていました。 上から、パタラ、コプル、ワカル、セングウル。 兄弟が降り立った地は、「バート」と呼ばれる地で、今でも尊い地とされてい るんだそうです。