祭 神:小子部命 説 明:大和史蹟研究会発行の「大和の伝説」から引用します。 「子部の里 磯城郡田原本町飯高(旧磯城郡平野村飯高) 雄略天皇が、すがるに命じて蚕を集めしめられたが、すがるは子とまちがえ て、子供を集めてきたので、天皇はそれをすがるに与えて養うように仰せら れ、小子部連という姓を給うたという話は書紀にも見える。その子どもを育 てたところが飯高の付近であるといい、ここを子部の里といった。飯高には 子部神社や少子部神社があり、子部の方はすがるの先祖、少子部の方は少子 部のすがるを祭るといわれ、少子部神社の氏子は、飯高と隣村の橿原市小槻 に数軒あって、すがるの子孫であると言われている。少子部神社の西にはす がる田という田もある。」 住 所:奈良県橿原市飯高町 電話番号: ひとこと:田原本町近くにある、「小子部」の神社。 非常に惹かれます。 というのもですね。 市杵島姫神社の創立にかかる伝説と繋がってくると思うからなんですね。 うつろ舟に乗って登場し、大活躍の末またうつろ舟に乗って流される河勝公 は、うつろ舟に乗って登場し、出雲の国土を作った後、粟の穂にはじかれて 常世の国へと去ったスクナヒコナを彷彿させます。 そして、「小子」とされるスガルもまた、スクナヒコナの面影を持つのです ね。 その二人にゆかり深い地がかなり近くにあるわけです。 惹かれません?私だけ(^^ゞ? それに、河勝公も、スガルも、蚕と非常に関係が深い。 日本書紀の皇極天皇三年七月条を引用しましょう。 「秋七月、東国の富士川のほとりの人、大生部多が、虫祭りをすることを勧め て言うのに、『これは常世の神である。この神を祭る人は、富と長寿が得ら れる』といった。巫女たちもいつわって神のおつげだといって、『常世の神 を祭ると、貧しい人は富を得、老人は若がえる』といった。このためいよい よ広がって、人々に家の財産を投げださせ、酒を並べ野菜や六種の家畜(馬・ 牛・羊・豚・犬・鶏)を路ばたに並べ、『新しい富がはいってきたぞ』と連 呼させた。都でも田舎でも常世の虫をとって安置し、歌い舞って福を求め、 財宝を投げだしたが、何の益もなく、損ばかりが極めて多かった。葛野の秦 河勝は、民の惑わされるのをにくんで、大生部多を打ちこらした。その巫女 らも恐れて、祭りを勧めることをやめた。時の人は歌を作って言った。 ウヅマサハ、カミトモカミト、キコエクル、トコヨノカミヲ ウチキタマスモ。 と。この虫というのは常に橘の木に生じ、あるいは山椒の木にもつく。長さ は四寸あまり。その大きさは親指ほど、色は緑で黒いまだらがある。その形 はたいへん蚕に似ていた」 ……つまり、ナミアゲハの幼虫(^^ゞ? とはいえ、「蚕に似ていた」としているところに、意味があるように思いま す。 それにね。 蚕は繭を作るでしょう? うつろ舟だと思いません? ……ということで。 非常に興味深いのです。この地は。