丹生吉神社 秋祭り
2008年10月12日午前8時。
快晴
和歌山県御坊市にご鎮座の丹生神社にて、秋祭りを見物してきました。
そもそも、お祭りとは、過去に起きたことを再現したものだという説があります。
たとえば、こんなゲン担ぎをしたことはありませんか?
たまたま、右足の靴下を裏返しに履いて行った日、会議でのプレゼンが最高にうまく行ったので、
次からも大切なプレゼンがある日には、右の靴下を裏返しに履いて行くことにしているというような。
お祭りもそれと同じような感覚で行われているというのがこの説です。
しかし、もちろんそれだけではないでしょう。
文字のなかった時代、過去に起きたことを後世に伝えるために、
物語にしたり、お祭りの所作に残したりすることは十分あり得るのではないでしょうか。
丹生神社の秋祭りは、その両方ともの意味を感じ取れるものでした。
私たちが神社に到着したのは午前8時。
本殿の中で、お祭りの参加者がご祈祷を受けておられるところでした。
その後、お旅所へ神輿の渡御が行われるわけです。
行列のトップは大きな神輿。主祭神である八幡様の御霊が御乗りになっています。
次を行くのは小さな神輿。丹生都姫命の御霊がお籠りになっています。
その後は順に、榊・のぼり・弓と矢(二人)・なぎなた・矛(二人)・小さな巫女さん四人。
御旅所では、「枡」と呼ばれるお供え物をもった男性十二人が待っておられます。
「枡」には、さつまいも・ざくろ・みかん・なす・あけび・柿が刺さっているのですが、
六種類のお供え物というのも、ざくろというのも、ちょっと珍しい気がします。
神輿が到着すると、まずは宮司さんによるお祓いが始まりました。
そして、巫女さんによる舞いの奏上。
そしてその次が獅子舞です。
でも、この獅子舞、なんだか奇妙なんです。
お囃子がなく静か。それになにより、前方に立つ天狗に翻弄されているようなのが……。
いただいた栞には、
「丹生都姫がお旅の途中、獅子(悪魔)が行列の邪魔をしたので、
道案内役の猿田彦命がそれを退治した」
と、説明されています。
なるほど、もっともらしい説明ですが、
私は奈良市丹生町にご鎮座の丹生神社の境内にあった説明を思い出してしまうのです。
曰く、
「神社のご祭神は女神で、伊勢の神楽が大嫌いだから、獅子舞が大嫌いだから、
獅子舞があると必ず雨が降るという」
丹生都姫命と獅子舞の間には、何か因縁があるのかもしれません。
その後、お祭り関係者がお祓いを受け、玉串の奉典と相成るわけですが、
その間に、辻の方では、別のイベントが起きています。
その名を、「鬼の出迎え」。
丹生神社の方からやってきた一団(松瀬?)と、
「江川」「和佐」それぞれの地域の一群が衝突しているのです。
まず、双方から、「鬼」と呼ばれる、天狗や赤い鬼の面をかぶった人物が、
それぞれに前へ出て、棒を振りまわします。
これは……どう見ても、模擬の戦いでは?
そばにおられた地域の方に聞いてみると、
「あれは、出会いって言うてね、戦いとは違うねん」
とのこと。
ただ、
「ま、勝ち負けはあんねんけどな(笑)」
だそうで……やっぱし模擬戦の意味はあるんでしょう。
これは私の想像でしかありませんが、
過去には、この土地を巡って争いが盛んに起きていたのではないでしょうか。
ご由緒にある通り、この土地は水銀の産地。
水銀を欲しい部族が争ってこの土地の支配権を狙ったことは考えられます。
ここで気になったのは、のぼりに書かれた、
「笑い祭り」
の「笑」の文字。
竹かんむりの下が「夭」ではなく、「犬」になっていること。
美女と犬というと、八犬伝のほか、さまざまな絡みを想像するのは私だけ(^^ゞ?
その後、和議が相成ったのか、三つの群は一緒になり、神社へ向かいます。
このとき、「鈴振り」と呼ばれる男性も加わります。
正直、このお祭りが有名なのは、この男性の存在が大きいでしょう。
真白に塗った顔の両頬に、赤い絵の具で、「笑」と描かれています。
この男性の存在意義については、よく知られていると思います。
丹生都姫が美しく成長し、初めて出雲の会議に出席する年、
こともあろうに出立の日、姫は寝坊してしまうのです。
すっかりしょげかえった女神をなぐさめるため、
村人たちは神前に「枡」を供え、「笑え笑え!」と神を勇気づけたのです。
鈴振りはいわばその先導役なのでしょうね。
個人的には、東吉野村三尾にある厳島神社にも、
「ご祭神の弁天様はあまりに美人すぎて、
他の神様がみな出雲の集まるときも、連れていってもらえなかった」
という伝承があるのが気になります。
「居残る・送れる美女神」
に、何か意味があるのでしょうか?
さて、一団が神社に帰ってくるのに要する時間は約二時間。
なんでそんなにかかるかというと……。
要所要所で、「鈴振り」を中心として、「枡持ち」さんたちが立ち止まり、
「笑え笑え〜〜〜〜〜!!!!!」
「うわぁっはっはっはっはっはっは」
とやるからなんですね(笑)
多分、これがお祭りの中でもっとも有名でしょう。
そしてもう一つ、御神輿を担ぐ男性たちも、要所要所で立ち止まるからなんすわ。
そして何をするか?
酒を飲むんですね(^^ゞ
御神輿を担いだ人たちは、
「世は楽じゃ、家は楽じゃ」
という掛け声をあげながら行進するのですが、
足元はふらふらで、どう見ても「楽」そうじゃなかったりします(笑)
そんなわけで、神社に戻ってきた人たちは、みな一様に真っ赤。
御神輿の巡幸が終わってしまえば、
あとは「神祭り」から「村人たちのお祭り」に変わるため、
問題ないのでしょう。
「枡」のお供え物は、神社に戻った後、
希望者に下賜されるようで、私もザクロをいただきました。
「家内安全に効くでぇ!!!」
と満面の笑顔でて渡してくださったのが印象的でした。
この後のお祭りは、本当に、「村のお祭り」でしたんで、大幅に割愛しますが……
ってのも、ほんまにみなさん、かなり酩酊されてたんで(^^ゞ
かなり危なっかしかった(笑)
次第は、四地域(松瀬・和佐・江川・山野)が、順番に神前にて力技を披露します。
まずは地域の御神輿を神前へ
その後、大きなのぼりが境内に並べられます。
のぼりの長さは、5メートルはあったでしょう。
長く豊かな布のかけられたそののぼりを、男性たちが一人の力で立てて行きます。
熟練の演者になると、のぼりを何度も振りながら持ち上げるため、かなり勇壮。
のぼりは、神が天下りするときの目印、もしくは依り代の意味があるとのこと。
これだけ振れば、目立つでしょうね。
次に、あれはなんという名前なのか聞き漏れてしまったのですが、
祇園祭における「矛」のような赤い布張りの輿が運び込まれます。
そこには、顔を白塗りした四人の少年が乗っているのですが、
担ぎ手たちが、
「咲いてくよ〜咲いてくよ〜」
と囃すと、一斉に逆さ身を反らし、輿に上半身をぶらさげるような形になるんです。
でも、担ぎ手たちがかなり酩酊しているので、
かなりヒヤリとする場面も多々。
表情を変えず身を反らしている少年たちには、拍手を送りたいと思いました。
四地域がそれぞれ力自慢を披露すると、巫女さんによる舞いが奏上。
その後、地域ごとに違った踊りが奏上されます。
和佐地域は獅子舞。
御旅処で披露されたものと同じ、天狗(猿田彦)による獅子退治です。
松瀬は竹馬。
といっても、竹に馬乗りになった子どもたちが境内を駆け抜けるというもので、
いわゆる「竹馬」とは違いました。
江川は奴踊り。
男たちが円になって踊るものでしたが、正直、皆さん足元がふらふらで(^^ゞ
本来の踊りがどういうものなのかは、ある程度想像しなければ(笑)
山野は雀躍り。
亀山城主の奥方懐妊の折、安産祈願のために奉納されたのが始まりだとか。
すべての地域が終われば、今度は一斉に四地域の獅子舞が舞われてお祭りは終了。
一番感じたのは、
村人たちが「神様」をとても大切になさっておられるらしきこと。
本殿内の席順などは、かなり真剣に悩んで決めるようです。
また、今回は移動するお祭りのため、疑問が出る度、
そばにおられる地域の方に質問をしたのですが、
どなたも、かなり詳しく教えてくださいました。
それだけ、お祭りに深く親しんでおられるのでしょう。
「笑えば福が来る」
そんなお祭り。
このお祭りがずっと続いていくことを祈ったりしたのでした。