祭 神:應神天皇 惟喬親王 説 明:境内の案内板を引用します。 「貞観七年(848)十一月人皇五十五代文徳天皇第一子惟喬親王は此の地より 約二粁北にあたる筒井峠に宇佐八幡宮を勧請せられて筒井八幡宮を創建された。 其の跡筒井峠は轆轤発祥の地木地年として栄え、筒井千軒の豪華さを謳われる ようになった。また後世迄全国津々浦々にわたってロクロ師に免許を与え、且 これらを支配してきた公文所(政所)を設けられていた。近代工業発展の今日 に至っても轆轤師の業挽物関係の工業を継ぐ者は当神社を崇敬し、遠隔をとわ ず常に参拝者が後を絶えない状況である。 因みに唱和五十五年四月木地民芸品資料展示館が文化庁の助成に依り建設され 民俗学上貴重な資料とされている氏子駈帳其の他重要な文献並びに作品が数多 く展示されている。 尚現在の神社は明治初年管理の都合上筒井峠から現在地に遷宮されたものであ る。 木地屋資料館」 住 所:滋賀県東近江市永源寺町蛭谷176 電話番号: ひとこと:中世、東近江市永源寺街にあるこの神社と大皇器地祖神社が、木地師たちを統 括していたようです。 伝承では、惟喬親王が政権争いを避けてこの地に隠棲し、轆轤挽き……つまり、 木地の技術を振興したとなっていますが、これは多分、「伝説」でしょう。 江戸時代ごろ、白川家が神官を務める大皇器地祖神社と、吉田家が神官を務め る筒井神社が、競って木地師を囲い込み、氏子とすることで支配し、上納金を せしめたというのが史実のようです。 これを「氏子狩り」と言うのですね。 由緒にある通り、筒井神社には、木地屋資料館が隣接し、さまざまな資料があ るようですが、12月から3月の間、閉館するようです。 多分、雪に埋もれてしまうのでしょう。 私は11月15日に訪れたのですが、鍵が閉まっていました。 帰り道、木地工房に立ち寄った際に訪ねると、 「さっき管理人さんが降りて来られたから、ちょっと前までは開いてたと思うん ですが。予約が主ですから、今度は前もって連絡されたらいいですよ」 と教えてくださいました。 そんなに次から次へと見学者が来るわけじゃないでしょうからねぇ。 行かれるかたはぜひ、前もってご連絡を。