日本酒: 「きとら 青龍」
 肴 : 「衣通姫と軽皇子」

danchigaikarakuchi




  日本酒 :きとら 青龍
   種 類:槽掛け雫酒 純米大吟醸
   産 地:奈良市福智院町24−1
   醸造元:今西清兵衛商店
  日本神話:衣通姫と軽皇子
   原 典:日本書紀 古事記
  あれこれ:美しさが衣を通して輝くほどの美女・衣通姫と、
       恋の為に全てを投げ打った薄幸の皇子・木梨軽皇子
       この二人の恋物語は、三島由紀夫もリメークしていますし、ご存知の方が多い
       でしょう。

       この二人の恋愛は、一言で言えば不倫。
       日本書紀では、衣通姫は、軽皇子から見ると、実父・允恭天皇の側室でした。
       古事記では、不倫度がさらにアップして、この二人は実の兄妹であることにな
       っています。

       しかし、それぞれに輝くばかりに美しいこの恋人達は、お互い以外に愛するこ
       とは出来ませんでした。

       一見、兄と妹の恋愛の方が、愛人と息子の恋愛よりも、不幸度は高いように思
       われます。
       少なくとも、現在の法律では、後者の二人は、結婚することが可能ですから。

       しかし、古代においてはどうでしょう。
       天皇の側室を、いくら皇太子であるとはいえ、奪うことは可能だったでしょう
       か?

       同じ、「この世では結ばれぬ定め」であれば・・・。
       父王を悲しませ、母后を苦しませた分、愛人と息子の恋愛の方が悲しく、罪深
       いのではないでしょうか。

      「誤解してはいけない、不倫は恋愛ではない。」

       もう10年以上前、旦那と知り合うよりずっと前のこと、何かの本で見たフレ
       ーズです。
       正直、他の内容は全く覚えていないのですが、この一文だけは強く印象に残り、
       今でもよく覚えています。
       ざっくばらんに言えば、
      「ほんま、その通り!」
       と思ったわけですね。

       不倫の恋といえば、悲劇的な響きを帯びますが、大概の場合、大概の場合は、
       無責任な二人が、無責任で怠惰な熱情をぶつけあってるだけ・・・のように、
       当時の私は感じていた、とまあ、そう思っていただければいいかと。
       結婚生活に付随する、いろいろな責任・・・親族との付き合いやら、社会的
       な責任やら、生活の苦労やらから免除された、
      「仮想空間」
       ・・・まぁ、私は、不倫というものを、大体そういう風に思っていました。

       気楽で無責任で・・・でも、甘い痛みだけは楽しめる・・・(笑)
       そのくせ、誰かに迷惑をかけてるわけで。
       大人のするこっちゃありませんな(爆)
       ・・・なんてね。

       しかし、「不倫は恋愛ではない」という言葉が正しいかどうか、今はかなり
       懐疑的です。
       
       まず、恋愛とは何か、その定義をまずせねば、不倫が恋愛であるのかないの
       など論じるのは無意味ですからね(^^ゞ

       確か、フランソワ・ラブレーの言葉に、
      「生活?そんなものは、下男にでもやらせておけ」
       という意味のものがあったと思います。

       恋愛とは・・・。
      「生活」からは、最も遠く隔たり離れたものなのかもしれません。

       それならば、不倫こそが、本来的な「恋愛」に近いものかもしれません。

       一時期、女性が求める理想の結婚相手の条件として「三高」という言葉があ
       りました。

       つまり、高身長・高学歴・高給、ということですね。
       これらの「条件」は、「恋愛」においては不純物。
       くさいくさい、生活臭っ!!!
       てな話です。

       今、この年になって思うんですよ。

      「生活」と「恋愛」は、並び立たてるものではない、と。
       俗っぽく言えば、生活とはエロスの極致、恋愛とはタナトスの頂点だと思う
       わけです。

       雨の中を泣きながら歩いたり、
       夜中に恋人の家まで走って行ったり、

       そんなこたぁ、生活の中で出来るもんじゃござんせん。

       そんなわけで、純粋に「恋愛」に生きてしまった、衣通姫と軽皇子は、生活
       からあぶれてしまうのです。

       軽皇子は、皇太子の位を剥奪され、流罪。
       二人の恋愛は、「死」によって成就します。

       恋愛を突き詰めれば、「死」以外に辿り着く場所はない・・・と言っても過
       言じゃない。

       それが、私の「恋愛」観であります。

       生活やめますか?恋愛やめますか?

       それくらい「有り難き事」が、「恋愛」なのだ、と、私はそう思います。

       ただ、現代社会においては、軽皇子ほどの切迫感はないかもしれません。
       結婚を決めるまでの「モラトリアム」の期間は、
       生活は生活。
       恋愛は恋愛。
       と、両方を楽しむことも出来るかもしれません。
       恋愛の相手に、「結婚して」と迫られるまではね(笑)

       そういう意味では、「結婚」は「生活」から逃げ出せなくするためのシステ
       ムと言ってしまってもいいかも(笑)

       でも、大概の場合、人は、最終的に生活(結婚)を選び、恋愛の方は、折り
       合いをつけておられると思います。

       そう。折り合いをつけるんです。
       例えば、生活臭い「擬似恋愛」で誤魔化したりとか(笑)

       生活側を誤魔化して、ちょんの間の「恋愛」を楽しんだりとか。
       ・・・今の私は、これが不倫にあたる、と思っているわけですが・・・。

       ただし、人間が有する愛情は、「恋愛」だけじゃありません。
       同胞愛とか自己愛とか慈愛とか、数え切れないほどの「愛情」の類が存在し
       ます。

      「恋愛」よりも「同胞愛」を、より好む人も多いんじゃないでしょうか。

       大事な家族への愛情に比べたら、恋愛なんて、あほらしいほどちっぽけだ、
       と思う人も、多いでしょう。

      「恋愛」「生活(結婚)」どちらを選ぶにしても、覚悟が必要です。

       結婚(生活)を選んでしまえば、「恋愛」には二度と近づくことはなりませ
       ん。
       私はそう思っています。
       ・・・無責任で怠惰な生き方をしてもいい、というなら別ですけどね。
       無責任で怠惰な人間になりたいですか?
       私は、そもそもがだらしない人間なんで、出来れば、これ以上無責任にも怠
       惰にもなりたくないっす。

       そして、恋愛を選んでしまえば、生活はなりたたなくなります。

       どちらを選んだにしても、その生き方を貫くことができれば、尊い、と、私
       は思います。

       ・・・こんなことをぐだぐだと言ってるのは、なぜか。
       つまり、私にも、「恋愛に死んでもいい」と考えていた青い時代があった、
       とまぁ、そういうことです(笑)
       穏やかさよりも激しさを好んだ頃もあった、と・・・。
       ひゃ〜、恥ずかし(^^ゞ

       このお酒は、そんなことを思い出しながらしんみり呑んでみたい。
       口どけの繊細な、胸を締め付けられるような甘さのある、そんなお酒です。   

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