登山を開始する前に、毅岳さん、新人さんが、
山の神様にご挨拶です。


毅岳さんが法螺貝を吹くと、
その後、二人で声を合わせて、詞を唱えます。

和泉葛城山は、修験の山らしく、滝がたくさんあります。



細長いものや、幅広く水量の多い滝。
どれも鮮烈で、清らかです。

夏に水浴びに来ても楽しそう〜〜。
そんな感想しか抱けない私は、多分修験者向きではないのでしょう(^^ゞ

道々、毅岳さんが、修験についていろいろなお話をしてくださいます。
修験者は、関所がフリーパスだったと聞きます。
だから、スパイ活動をするには、打ってつけだったのだと。

歌舞伎「勧進帳」では、
頼朝に追われた義経と弁慶の一行は、山伏に化けて、奥州へ逃げます。
しかし、途中どうしても通過しなくてはいけないのが、安宅の関。

「義経公を捕らえねばならぬのだが、そなた達、本当に修験の者か?」
そう問いかける関所の役人・富樫に対し、
「我等は、東大寺建立のために、各地へ使わされた修験者」
と偽るのですが、
「それならば、勧進帳をもっているはず。読上げてみよ」
との仰せ。

富樫っていう役人は、切れ者だったんですね。
しかし、弁慶も度胸の据わった武者。
白紙の巻物を取り上げ、架空の勧進帳をすらすらと読上げたのでした。

この物語は、弁慶の忠義・富樫の人情などが折り重なって、感動の結末となります。
そして、史実によれば、
この二人の活躍の甲斐なく、義経は切腹して果てるわけですが・・・。

毅岳さんによれば、
山伏装束を身に着けていれば、誰でも関所をフリーパスだった
というわけではないそうです。

関所を顔で通ることができたのは、一部の特権階級だけ。
ぺーぺーの山伏は、一般の人と同じように、許可証が必要だったそうです。

和泉葛城の登山道は、いろいろな表情を持っています。
滝の多い麓を越えると、急な坂道にかかります。
そして、それを越えると・・・。



まさに、「山道」と相成ります。

山の登り方というのにも、個性があります。
マイペースで息の上らない速度を保ちながら、ノンストップで登るのが私流。
適度にスピードを上げ、息が上れば一休みするのが、毅岳さん流。
そして、かなりの速度で登って、全く疲れを見せないのが、
ぷ、と新人さんなのでした。
化け物や(T_T)

ところどころで、立ち止まり、
法螺貝のご挨拶をする毅岳さん。

気のせいか、一度目よりは二度目の方が、良い調子。
貝も暖める方が良い音が出るみたいです。




さて、山道はぐねぐねしています。
角を曲がって、また角を曲がる。そしてまた角を曲がる。
登り初めてから、何度目の角だったでしょうか。
山道というのは不思議なものです。
ある角を曲がると、いきなり雪景色が広がるんですから。



いきなり滑りやすくなった足元に注意しながらも、
山頂はもうすぐです。

home オフ会レポートのトップページに戻ります back next