2
妙寺駅を出発すると、紀ノ川べりに出ます。
豊かな流れと、綺麗な水。
清々しい風が、涼しくて、歩くのにぴったりな気候です。
「クロ」という改名が効いたのでしょう。
雨雲はどうやらどこかへ行ったようです。
最初に到着したのは、「竃門神社」。
今は民家の庭にあるので、
撮影させていただくには少しためらいがあります。
「遠くから拝ませていただくだけでいいかぁ」
皆がそう思っていると・・・。
ぷ、と江良さんがいない・・・。
振り返って見ると、もしかしたら天然二人男かもしれない、彼らは、
なんの逡巡もなく、おうちの方と交渉し、
写真を撮影させていただいてました(^^ゞ
この竃門神社の側では、薬師堂が建て替えの真っ最中でした。
この薬師堂は、空海の指示で、ここに建てられたということ。
空海は、竃神と薬師如来の間に、何らかの関係を見出していたのでしょうか。
竃門神社を過ぎると、すぐ、丹生酒殿神社の一の鳥居が目に入ります。
丹生酒殿神社は、丹生都姫命がお酒を醸したという伝承の残る神社。
現在、境内は広大というわけではないのですが、
なにかスカーンと広々とした明るさのある神社です。
まず、参拝し、ふと横を見ると立派な絵がかかっています。
高野山における渡御の絵であるようで、
提灯に見える様々な家紋や、大きな松明などに、当時の隆盛がしのばれます。
提灯に注目すると、徳川葵らしきご紋やら、真田六文銭やらが見つかり、
いろいろな想像がかきたてられます。
次に向かったのは、拝殿向かって右側にある「鎌八幡宮」
この宮のご神木であるイチイの大木には、たくさんの鎌が刺さっています。
何か願い事のある人が、祈りを込めて鎌を刺しているのだそうです。
しかし、願いが叶うのは、鎌を刺された幹が隆起し、
鎌をスッポリ飲み込んでしまった後とのこと。
「素敵な人と結婚できますように」
と願ったとしても、
叶うのは、20年後になることやら、30年後になることやら(笑)
ここは、
「世界が平和になりますように」
ぐらいスケールの大きい、
スパンの長い願い事をするほうが良さそうです。
丹生酒殿神社の前で記念撮影をして、いよいよ三谷坂に向います。
三谷坂は、別名・勅使道。
昔の人は、この道を通って丹生都姫神社に通ったのですね。
ならば、私達が登れないわけがないっ!!
わけが・・・、
わけが・・・・・・、
坂が、急だっ!!
ほとんど、直登コースの山道なんですよ、これが(^^ゞ
普通の登山道は、うねうねと蛇行した道を
時間をかけてゆっくり登るようになっていることが多いのですが、
この勅使道は、ほぼまっすぐ頂上に駆け上っています。
そんなに、急いだのか?勅使?!
なんだかんだ言いながらも、直登コースということは、
振り返れば、山の麓が一望できるということ。
ちょっと休憩すれば、気分はリフレッシュします。
山道に慣れているあかがねさんとぷはもとより、
最近、登山づいている私や、基礎体力があり余っているsola☆、
面白いことがあるとなれば、
ほうれん草を食べたポパイの如く、体力満タンになる海老・・・
もとい、クロさん。
山伏である毅岳さんや、
細くて体力ムンムンには見えないけれど、
いつでもどこでも涼しげなミルフィオリさんは、
すっかりペースを取り戻しました。
そして、今回案内してくださってるかまどさんも、根性の復活。
夜行で到着したばかりの江良さんも、気力で回復。
まず最初の目的地、笠石に到着しました。
伝承では、ここに、笠が飛んできたことになっています。
しかし、毅岳さんが見るに、
どうやら、この柱のような石は仏様らしいとのこと。
そして、その石にかぶさっている薄べったい石は、
天蓋をイメージしているのではないかということでした。
伝承は伝承として、
仏様だと思うと、なにやらありがたく感じますね。
次の目的地は、頬切り地蔵です。
しかし、このあたりから、道は暗くなってきました。
雲が出てきたせいもあるのでしょうが、
何より、木々が鬱蒼と生い茂ってきたのです。
しかも、舗装された道から、土の道へと変わり、
なにやら、「山」らしくなってきました。
そんな、少し暗いところに、頬切り地蔵は鎮座します。
ちょっと分かりづらいですが、お地蔵様は三体。
写真に映っていませんが、
奥に、もう一体のお地蔵様が彫られています。
伝承では、
丹生津姫が、高野山へ登る道で大蛇を斬ったら、
この地蔵の頬に切り傷ができていた、とされているそうです。
つまり、この地蔵の化身が蛇だと思われていたということでしょうか。
なんだか、考えさせられる話ですね。
さぁ、ここを越えたら、丹生都姫神社はもうすぐです。