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高鴨神社

takagamo





  祭  神:阿治須岐詫彦根命 下照比売命 天稚彦命
  説  明:御由緒書を転載します。
      「この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族
       が守護神としていつきまつった社の一つであります。
      『延喜式』神名帳には『高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひ
       こねのみこと)神社』とみえ月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名
       神大社で、最高の社格をもつ神社でありました。清和天皇貞観元(85
       9)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならん
       で従二位の御神階にあった本社の御祭神もともに従一位に叙せられまし
       たが、それほどの由緒をもつ古社であります。
       弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移
       り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。ま
       た東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に
       入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波
       神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、ともに鴨一族の神社でありま
       す。
       このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りまし
       た。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・
       佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都
       の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。
      『日本書紀』によると、八咫烏(やたがらす)が、神武天皇を熊野から大
       和へ道案内したことが記されています。そして神武・綏靖・安寧の三帝
       は鴨族の主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられま
       した。
       この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまで
       に発展しましたが、わずか九で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇に
       はじまる大和朝廷によって滅亡しました。
       こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活
       躍は神話の中で大きく物語られています。高天原から皇室の御祖先であ
       る瓊々杵(ににぎ)尊がこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本
       神話のピークでありますが、その中で本社の御祭神である味耜高彦根
      (あじすきたかひこね)神・下照比売(したてるひめ)神・天稚彦(あめ
       わかひこ)、さらに下鴨社の事代主(ことしろぬし)神が、国造りの大
       業に参劃されています。
       御本殿には味耜高彦根神を主神とし、その前に下照比売神と天稚命の二
       神が配祀され、西神社には母の多紀理毘売(たぎりびめ)命がが祀られ
       ています。古くは味耜高彦根神と下照比売神ミの二柱をまつり、後に神
       話の影響を受けて下照比売の夫とされた天稚彦、また母神とされた多紀
       理毘売を加え、四柱の御祭神となったものと考えられます。
       現在の御本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定
       されています。なお東神社は皇大神・住吉神・春日神をお祀りしていま
       す。」

       阿治須岐詫彦根命・下照比売命・天稚彦命は、縁つながりのある神様達
       です。

       即ち、阿治須岐詫彦根命と下照比売命は、同母(父は大国主命・母は多
       紀理毘売命)兄妹で、天稚彦命は、下照比売命の旦那様です。
       天稚彦命は、天照大神の命で出雲に天下りますが、大国主に惚れ込んで
       しまい、大国主の娘を娶り、高天原に帰ってきませんでした。
       あまつさえ、高天原の使者(鳴女・雉)に矢を向けますが、返し矢(投
       げ返された矢)によって倒れてしまいます。

       その葬儀の席に、阿治須岐詫彦根命がやってきたところ、家の人間達は、
      「天稚彦が帰ってきた!」と大騒ぎ。阿治須岐詫彦根命は激怒(古代は死
       人が出た場合、同年齢の人間は、葬儀の日のみ年齢を違えたのだそうで
       す。つまり、“死者の資格”を得ないようにしたわけなんだそうです。
       年齢が一緒でも“死者の資格”に十分なのに、死者と間違われるとは・
       ・・。縁起悪いったらありゃしないですね。)して、飛び去ったのだそ
       うです。
       そして、その時、この男は、夫・天稚彦命でなく、兄・阿治須岐詫彦根
       命であることを歌って知らせたのが、(考えてみりゃぁ、兄ちゃんそっ
       くりの男の嫁さんになったという、かぁいそうな)下照比売命というわ
       けです。

       また、一説では、阿治須岐詫彦根命は雄略天皇に出会ったとき、一言主
       大神の名を始めて名乗ったのだ言われています。

       高鴨神社は、「延喜式 神名帳」では、「高鴨阿治須岐詫彦根命神社」
       と記されています。
       阿治須岐詫彦根命が、鴨氏の祖神なのならば、鴨氏(葛城地方の豪族)
       は、出雲の民だったのでしょうか?
  住  所:奈良県御所市鴨神字篠
  電話番号:0745−66−0609
  ひとこと:天稚彦は、御伽草子に出てきます。(所謂七夕物語)
      (うろ覚えですから、間違ってたら教えてくださいね)ある日長者の家に
       大蛇がやってきて、「娘を嫁にくれたなんだら(つまり、餌として差し
       出せ、ということを婉曲な表現で言っていると考えていいと思います)
       食ってやる。」と書いた手紙を置いていきます。

       上の二人の娘は、「あ〜〜んなつるっとしてて、口の大きな旦那はイヤ
       よ!」と、断ります。
       この長者には三人娘がいたのですが、末娘は、一番かわいらしかったの
       で、いやいや呼び出して、「御前がいややったら、わしらがなんとかす
       るようにするさかい、いややったら言うてや。あんな、蛇の嫁にな、な
       ってくれへんかな〜〜〜とか思うねんけど、いややな?いややよな?そ
       やよな。かまへんかまへん。姉さん達にもいっかい当たってみるさかい」
       と贔屓丸だしの態度だったようです。
       ところが、かわいいばかりか、優しい末娘は、「お父様が喜ぶなら」と
       承知しちゃいます。お父ちゃん、がっくり。

       さて、末娘が大蛇の前で震えておりますと、蛇は、「恐れなくてもよい。
       私の頭をちょんぎってくれないか」???と言い出します。
       普通の娘なら、蛇の頭ちょんぎるなんて失神しそうですが、さすが、死
       ぬ覚悟のできている娘は肝が座ってます。
      「合点承知の助!」と、あっさりちょんぎってしまうわけです。
       ところがびっくり。蛇の頭をちょん切ると、麗しい若君に変身したでは
       ありませんか・・・。優しく美しい末娘は、美しい若様と幸せに暮らし
       ましたとさ・・・。めでたしめでたし・・・と思ったところが!!
       突然、旦那様は、「俺、竜宮城から来たんだぁ(誰も、蛇から人間にな
       るような奴、普通の人間やと思わへんって!)そんなわけで、天に帰る
       から、待っててよ。あ、この箱は明けちゃ、ダメ、だ・ぞ。チョメ!」
       と言い残し、天に帰ってしまうんです。
       娘は待ちます。待って待って待ちわびても旦那は帰ってきません。だっ
       て、面食いのくせに好奇心旺盛な二人のお姉さんが、明けちゃダメだと
       言われた箱を明けちゃったんですもの。全く。ロクなことしやがらねぇ。

       1度死んだ積もりになった娘は強い。天に旦那を迎えに行くのでした。
       とぉこぉろぉがぁ、天の旦那の家についた途端、姑の嫁いびりが始まり
       ます。
      「きれ〜〜〜に洗濯してねっ♪(ニッコリ)」と手渡された布が毒虫だら
       けだとか、蝮だらけの部屋に連れて行かれて、「ゆっくりお寝みなさい
      (親切ヅラ)♪」などなど。
       そんな時、こっそり現れるのが、旦那様、天稚彦なわけです。
      「僕一人の力では、いとしい御前を守ることはできない。この小袖をあげ
       よう。この小袖を振りながら、“天稚彦の袖”と言えば、何者も御前を
       害することはできないからね」とそそくさとどっかに消えてしまいます。
       全く、人間界では偉そうだったくせに、このマザコン男!!!!!

       さて、その小袖のお陰で、末娘は、難なくイジメを克服しちゃいます。
       それを見たお姑さん達は、「あいつぁ只者じゃねぇ。化け物かもしらん
       から、この際、厄介払いしちゃおうぜ」と二人を祝福し(?)、年に、
       一度だけのデートを許し、瓜を割ります。すると、瓜から水がほとばし
       り、二人を隔てる天の川になりましたとさ。

       さて、蛇神様と言えば、大国主命です。奥さん、勢夜陀多良比売に、正
       体を問われて、現したのが美しい蛇だった・・・なんて話しもあれば、
       夜毎通ってくる美しい男性の素性を確かめるべく、衣の裾に糸をつけて
       おいた生玉依姫が次の朝、糸をたどって行くと、三輪山の頂上で、蛇が
       とぐろを巻いて眠っていた・・・なんて話しもあります。
       
       そんなわけで、天稚彦と、大国主命の関係はここにも出ているかも知れ
       ませんね。

       また、古事記によると、天稚彦の葬儀では、河雁・鷺・翡翠・雀・雉が
       弔の詩を歌ったとか。
      「誰がこまどり殺したの?」みたいどすな。
      「誰が弔いの詩を歌うの?」
      「それは私」と河雁・鷺・翡翠・雀・雉が言った・・・ってね。
 
       さて、この神社は、きらびやかではありませんが、閑静で、秋は紅葉、
       春は桜草がきれいです。
       池にはたくさんの鴨が泳いでいます。
       心をこめて祈ると、答えが聞こえてくるような気がしますよ。

       が、だからこそ、間違っても、
      「お、鴨がおるぞ。ってことは、どっかに高もおるな。たか〜〜、どこ
       や〜〜。」などと、大阪人のワタクシでなくとも、
       ハリセンもってツッコミたくなるようなことを言い出す旦那(同伴者)
       と行くのはやめましょう。
       ムード台無しです。くっすん。
            **********************

       平成13年12月31日午後7時より、年越の大祓え・そして、同日
       午後11時30分から除夜の祭礼、続いて歳旦祭が催されました。
       参加レポートをご覧ください。


       平成14年2月3日午後1時より、稲荷神社例祭そして、古札焼納が
       執り行われました。
       参加レポートをどうぞ(^o^) 

       平成14年4月15日午前10時半より、春季大祭・東末社例祭が執
       り行われました。
       参加レポート。よろしければ  

       平成15年7月31日午前7時より、夏越の大祓えが執り行われまし
       た。
       参加レポート。
       お祭は一時間ほどでした。   

            **********************
       このご由緒について、賀茂朝臣家を継承されているという方からメー
       ル及び、掲示板書き込みをいただいたので、転載しておきます。

       古代史においては、正解というものはないと私は考えていますが、
      「興味深い事件」と考えて、残すことにします。

       以下↓件のメールです。

      「さて、「鴨族の先祖はヤタガラス」という珍説を拝見しました。
       これは明白な間違いですから修正してください。
 
       賀茂朝臣の直系の先祖は『新撰姓氏録』に「大多々禰子尊の孫、大賀
       茂積尊の子孫」とあります。
       大賀茂積尊は東大阪市高井田元町の鴨高田神社に、同地の開拓者とし
       て祭祀されています。
       その大多々禰子尊は大物主大神の子孫であり、大和國では味鋤高日子
       禰尊を祖神とします。
 
       宗像多霧媛尊の子、味鋤高日子禰尊の子孫だからこそ、鴨族の分家に
       宗像朝臣が出たのです。
 
       さて、ヤタガラスの子孫は古事記・日本書紀では殿守県主・賀茂県主
       と曖昧です。
       これは賀茂族の血筋の人々ではなく、たまたま賀茂神社の禰宜をして
       いた「賀茂部」のものたちが名のりはじめたもので、われわれ賀茂族・
       賀茂朝臣家とはまったく関係ありません。
 
       松下電器の社員が、自分勝手に松下姓に改姓したようなものです。
       續日本紀には、「鴨禰宜の真髪部に賀茂県主の姓を賜わった」とあり
       ます。
       真髪部というのは、もともと白髪部(シラカベ)という姓でしたが、白
       壁(白髪部)皇子が天皇に即位すると、遠慮して「真髪部」に改姓した
       人々です。
       すぐに御修正を御願いします。
       この件は、鈴鹿義胤宮司とも相談済みです。」

       以上↑

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